壬生(みぶ)(Nibu) 京都通メンバ
所在地:京都市中京区壬生付近   名所地図情報名所

山城国葛野郡壬生村

エリア:西は西大路通の一筋東、東は大宮通より西、北は三条通、南は松原通までの地域

 壬生(みぶ)は、京都市市街地の中央部西側の地域

 平安京では中央部の地域だった

 桃山時代には、洛中の西の端にあった壬生村の地域

 壬生村の中心に壬生寺があり、そこでは壬生大念仏狂言が行われていた

 幕末維新には、新選組の最初の屯所が置かれ、付近には、新選組ゆかりの地の史跡が多く残る

【壬生の歴史・経緯】


幕末維新の壬生ゆかりの地】

 <八木邸
 壬生郷士(壬生住人士)の長老を勤めていた八木源之丞の屋敷
 近藤勇や、土方歳三、芹沢鴨(せりざわかも)の一派が上京後、
清河八郎と決別して最初に屯所としたところで、後の新選組の宿泊所となる

 土間に沿ったいくつかの部屋、下見板を張った外観が特徴
 新選組三大内部抗争の一つ芹澤鴨、平山五郎らが惨殺された事件での刀傷が残る

 <壬生寺
 境内が、新選組の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行われていた
 新選組壬生大念仏狂言についての解説をパネルや写真で展示されている歴史資料室もある


 <旧前川邸
 池田屋騒動の発端となった古高俊太郎への拷問や、山南敬助が切腹をしたところ

 <新選組隊士等慰霊供養祭
 7月16日
 尊皇攘夷の過激派であった長州藩藩士の集会を襲撃した池田屋騒動の日を記念して行われる

 <壬生塚>
 芹沢鴨、平山五郎ら隊士11人の墓地
 近藤勇の銅像もある

 <三橋美智也の歌碑
 「新選組」

 <新徳寺
 幕末維新には上洛した浪士組の清河八郎が、隊士を集めて尊王攘夷の演説を行ったところ

 <光縁寺
 山南敬助のお墓がある

【壬生の名前の由来】

 壬生は、泥水の湧き出る低湿地帯だったことから「水生」が訛って「壬生(みぶ)」と称されるようになったといわれる

 いたる所に水が湧き、家やお堂を建てるのに、基礎を築くのが大変だったといわれる

京野菜

 壬生は、壬生菜の名産地でもあり、瓜・茄子・芋などいろいろな野菜が生産されていた

 比較的裕福な農家が多かったといわれる

 現在は、完全に市街地と化して田畑は全く残っていなく、
 壬生菜の生産は郊外の畑で行われている

【壬生車庫】

 明治時代
 京都市電の車庫が設けられた
 壬生車庫は、4ヶ所にあった車庫の一つ

【壬生へのアクセス】

 嵐電 嵐山本線 西院駅・四条大宮駅
 阪急電車 京都本線 大宮駅
 市バス 千本三条朱雀立命館前・壬生寺道・四条中新道・みぶ操車場前・四条御前通・市立病院前


【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第11回3級】

【京都検定 第13回3級】

【京都検定 第14回3級】

【京都検定 第20回3級】

【京都検定 第21回3級】

【京都検定 第22回3級】

【京都検定 第23回3級】

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【京都検定 第5回2級】

【京都検定 第10回2級】

【京都検定 第11回1級】


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