二帖半敷町(にじょうはんじきちょう)は、下京区の綾小路通と仏光寺通の間にある烏丸通を挟む両側町
3つの由来があるといわれる
<五条寺>
かつて、この町に「五条寺」と称される寺院があったといわれる
その住職が、2人の弟子に寺院を分割して継がせたことから、「五条」を2つに分けて「二条半」と称され、
それがいつしか「二帖半」に変化したといわれる
<畳五帖の民家>
この町に、わずか畳五帖しかない小さな家があったといわれる
その家に住んでいた兄弟が、仲良く半分づつ、二帖半に分けて住んでいたことから、名付けられたといわれる
<茶室>
この町に、二畳半台目の茶室があったともいわれるが確証は見つかっていない
千利休は、簡素を趣とし、かつ主人とお客の距離を詰めるために茶室の極小化を図ったといわれる
待庵(国宝)は二畳敷であり、一畳半の茶室まで造ったといわれる
織田有楽斎は、千利休の際限のない極小化を「客を苦しめるに似たり」として、
緩和した「二畳半台目」の茶室を残している