鳥辺野(とりべの)は、東山区南部、阿弥陀ヶ峰北麓の五条坂から南麓の今熊野にいたる丘陵地で、鳥辺山のふもと一帯をいう
時代とともに、指し示す範囲が狭くなってきている
平安時代以前から
北の蓮台野、西の化野と並ぶ東の墓地・葬送の地となっている
現在は、清水寺の南西、西大谷東方の山腹に墓地がある
墓地の広さは、約4万m2
<鳥辺野(とりべの)>
鳥辺野は、鴨川より東側の、
阿弥陀ヶ峰北麓の清水寺の南西、大谷本廟(西大谷)、五条坂から、
阿弥陀ヶ峰南麓の今熊野観音寺北、一条天皇皇后定子陵のある鳥戸野陵に至る丘陵地の総称
<鳥辺山(とりべやま)>
西本願寺西大谷墓地の中の山
五条坂から東の小高い山で、遠くからは山には見えない
<阿弥陀ヶ峰>
七条通の真東の円錐状の優艶な山
東山三十六峰の一つ
高さ、約193m
山頂には、豊臣秀吉の墓所の豊国廟がある
<鳥戸野(とりべの)・鳥部野(とりべの)・鳥辺野(とりべの)>
3つを区別して称されることもある
鳥戸野(とりべの):阿弥陀ヶ峰の南西一帯、高貴な方々の葬地だった
鳥辺野(とりべの):阿弥陀ヶ峰の北西の一帯、庶民の葬地だった
鳥部野(とりべの):両方の総称
平安時代以前から墓地・葬送の地となっている
北の蓮台野、西の化野とともに京都の三大墳墓地
826年(皇紀1486)天長3年5月
淳和天皇の第一皇子桓世親王が、22歳で亡くなられ、鳥部寺の南の山に葬られた記録がある
五条通より南側の阿弥陀ヶ峰から泉涌寺・東福寺までは、天皇や貴族らの上層階級の墓所
五条通より北は、庶民の墳墓が多く、狭い範囲での「鳥辺野(とりべの)」と称され、
親鸞聖人の荼毘所(だびじょ)や、藤原一族の火葬の地でもあった
阿弥陀ヶ峰の山頂には、豊臣秀吉の墓所の豊国廟がある
<鳥部寺>
鳥取氏の菩提寺
858年(皇紀1518)天安2年に焼失し、寺地は不明
<六道珍皇寺>
現世と冥界の境界として、小野篁が冥土通いをしたという伝説が残る
<六波羅蜜寺>
六波羅の地に、踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也上人が建立
<徒然草>
「鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。
世はさだめなきこそいみじけれ」と記されている
<「鳥辺山心中」>
新歌舞伎台本の一つ
鳥辺山が舞台になっている