七条大橋(しちじょうおおはし)は、鴨川に架設されている橋
現在の鴨川に架かる橋の中では、最も古い橋とされ、明治時代の意匠を残す唯一の橋
日本初の鉄筋コンクリート・アーチ橋
七条通にあり、橋の付近の鴨川は下京区と東山区の境界になっている
<七条大橋>
5径間連続RCアーチ、「RC充腹アーチ」とも称される
日本初の鉄筋コンクリートアーチ橋
架橋当時は、6連で橋長約112mで、巨大な橋とされていた
現在は、全長81.9m、幅員18.1m
現在、鴨川に架かる橋では最古の橋
設計は、東京大学教授 柴田畦作
意匠は、森山松之助、山口孝吉
建築様式は、平面と直線を多用するウィーン分離派(セセッション)の影響を受けた斬新なものといわれる
親柱や、金属製高欄(現存しない)は、幾何学的なセセッション式欧風意匠が用いられている
基礎には、一橋脚当たり末口20㎝、長さ2mの松杭250本が打込まれている
高欄は、太平洋戦争中の金属供出により撤去された
御影石製の柱、鋳物製の欄干は、パネル、照明灯の鋳鉄部の意匠に特徴があった
その後、木製やコンクリート製に替えられた
現在の欄干のデザインは、三十三間堂の通し矢のモチーフに改修されている
右岸側には、竣工時の親柱が残る
橋上からは東山の山々や、南側に東海道本線・東海道新幹線の鉄橋が見える
<土木学会選奨土木遺産>
選奨年:2008年(皇紀2668)平成20年
選奨理由:
黎明期のRCアーチの中で群を抜いて巨大であり、鴨川において明治時代の意匠を残す唯一の橋として貴重な施設である
<道路拡築ならびに電気鉄道敷設事業>
京都市三大事業の一つ
1911年(皇紀2571)明治44年に着工し、1913年(皇紀2573)大正2年に完成
市電の敷設のために、幹線道路が拡幅され、丸太町橋・四条大橋・七条大橋が、
市電の荷重に耐えられる近代橋へと架け替えられた
<四条大橋>
七条大橋と同時期に竣工
設計は、同じく柴田畦作で、ほぼ同じデザインが用いられて「兄弟橋」と称されていた
1942年(皇紀2602)昭和17年
水害などにより、架け替えられた
<柴田畦作(しばたけいさく)>
国内で初めて鉄筋建築を研究し「鉄筋コンクリート建築の祖」と称される
京都市三大事業の道路拡築ならびに電気鉄道敷設に関する研究にも関わった
四条大橋なども設計している
<京阪電車 七条駅>
橋の東側の地下
<三十三間堂>
七条駅からさらに東側
<京都国立博物館>
七条駅からさらに東側
<松明殿稲荷神社>
橋の西南側