宇治橋(うじばし)は、宇治市の宇治川に架かる橋
奈良時代に初めて架けられたといわれる
「瀬田の唐橋」と「山崎橋」とともに、日本三古橋の一つで「宇治三郎」と称される
宇治橋は、古今和歌集や源氏物語などに登場する
能「鉄輪」の橋姫伝説などの能の演目にも登場する
桧造の高欄や、擬宝珠などで飾られた優美な橋
橋脚:鉄筋コンクリート
欄干:檜製
長さ:155.4m
幅:約25m
歩道:上流側(南側)のほうが、景観が良く、下流側(北側)の歩道より広くなっている
<擬宝珠>
青銅製
江戸時代初期に架け替えられたときの1636年(皇紀2296)寛永13年の刻印がある
この擬宝珠の形状と大きさに合わせて、改築されている
<三の間>
宇治橋の上流側(南側)の西詰めから3番目の橋桁の間にある張り出した部分
橋の守り神である橋姫神社の橋姫が祀られていたところ
この下を流れる水は「龍宮より湧き出づる水」「竹生嶋弁才天の杜壇の下より流れ出づる」といわれ、名水とされていた
豊臣秀吉が、通円に命じて、毎朝五更の時刻に、ここから茶の湯の水を汲ませたといわれる
現在でも「茶まつり」では、ここから水が汲まれている
<旧 三の間>
江戸時代初期の三の間が、宇治橋の東詰の南側、宇治川沿いに残されている
当時のピンクっぽい色に復元されている
<放生院(橋寺)>
聖徳太子の時代から宇治橋の管理をしていた守り寺といわれる
<宇治橋断碑(重要文化財)>
宇治橋の東詰の放生院(橋寺)にある宇治橋の由来が記された碑の上半分の断片
日本三古碑(群馬県の多胡碑、宮城県の多賀城碑)の一つで、日本最古の碑
この碑文から、宇治橋は、646年(皇紀1306)大化2年に架橋されたとされる
1791年(皇紀2451)寛政3年
付近の土中から断片が発見され、「帝王編年記」に記されていた碑文の全文により、
欠如していた部分を補って再建された
<さわらびの道>
宇治川の東岸から末多武利神社、宇治上神社を経て宇治市 源氏物語ミュージアムに至る石畳の散歩道
<江戸時代中期の京都観光案内書「都名所図会」>
「三間の水 山城の名水なり。
瀬田の橋下、竜宮より湧き出づる水、このところへ流れ来るなりと、また一説には、竹生嶋弁才天の杜壇の下より流れ出づるといふ。
秀吉公伏見御在城のとき、つねに汲ましめたまふ、通円が茶屋 橋のひかし爪にあり。
いにしへよりゆききの人に茶を調てて、茶茗を商ふ、茶店に通円が像あり。
むかしより宇治橋掛け替へのときは、この家も公務の沙汰とし造りかへあるとなり。」
<茶店 通圓茶屋>
宇治橋の東詰南側にある茶屋
創業:平安時代末期 1160年(皇紀1820)永暦元年
江戸時代のガイドブック「宇治川両岸一覧」にも描かれている
毎朝、五更の時刻に、三の間で宇治川の水をくみ上げ、豊臣秀吉の使いの者に伏見城まで届けさせていた
その時に用いた釣瓶は、豊臣秀吉が千利休に作らせたといわれ、残されている
茶筅と茶碗を持った木像「通円の像」は、一休宗純の作とされる
宇治橋の架け替えのときは、幕府により、通円の家も建て替えられていた