乙訓郡(おとくにぐん)

所在地:乙訓郡   名所地図情報名所

構成:大山崎町(おおやまざきちょう)

人口約1万5千人
面積5.97km2 (2015年5月現在)

 乙訓郡(おとくにぐん)は、かつて山城国、現在は京都府南部の郡

 かつては、現在の長岡京市と向日市の全域、京都市西京区・南区・伏見区の一部も乙訓郡だった

 現在は、大山崎町(おおやまざきちょう)の1町のみで構成されている

【乙訓郡の経緯】

【平安時代の乙訓郡の郷】

 平安時代中期に製作された「和名類聚抄」に記されている郷

 <山埼郷>
 <長岡郷>
 <鞆岡郷>
 <長井郷>
 <大江郷>
 <物集郷>
 <訓世郷>
 <榎本郷>
 <羽束郷>
 <石作郷>
 <石川郷>

【明治時代からの乙訓郡の変革】

 1889年(皇紀2549)明治22年4月1日
 町村制施行に伴い、1町10村で乙訓郡が構成される

 <向日町(むこうちょう)>
 1972年(皇紀2632)昭和47年10月1日 向日市となり郡より離脱

 <大山崎村(おおやまざきむら)>
 1967年(皇紀2627)昭和42年11月3日 大山崎町となる

 <久我村(こがむら)>
 1950年(皇紀2610)昭和25年12月1日 京都市伏見区へ編入

 <羽束師村(はづかしむら)>
 1950年(皇紀2610)昭和25年12月1日 京都市伏見区へ編入

 <大枝村(おおえむら)>
 1950年(皇紀2610)昭和25年12月1日 京都市右京区へ編入

 <久世村(くぜむら)>
 1959年(皇紀2619)昭和34年11月1日 京都市南区へ編入

 <大原野村(おおはらのむら)>
 1959年(皇紀2619)昭和34年11月1日 京都市右京区へ編入

 <乙訓村(おとくにむら)>
 1949年(皇紀2609)昭和24年10月1日 乙訓村・新神足村・海印寺村が合併し長岡町となり
 1972年(皇紀2632)昭和47年10月1日 長岡京市となり郡より離脱

 <新神足村(しんこうたりむら)>
 1949年(皇紀2609)昭和24年10月1日 乙訓村・新神足村・海印寺村が合併し長岡町となり
 1972年(皇紀2632)昭和47年10月1日 長岡京市となり郡より離脱

 <海印寺村(かいいんじむら)>
 1949年(皇紀2609)昭和24年10月1日 乙訓村・新神足村・海印寺村が合併し長岡町となり
 1972年(皇紀2632)昭和47年10月1日 長岡京市となり郡より離脱

【乙訓郡ゆかりの地】

 <向日神社
 延喜式神名帳
 「山城国乙訓郡 向神社」と「名神大社 乙訓坐火雷神社(おとくににいますほのいかづちのやしろ)」と記されている式内社

 <神足神社
 長岡京市東神足
 延喜式神名帳による式内社

 <離宮八幡宮
 乙訓郡大山崎町大山崎西谷

 <乙訓寺
 長岡京市今里3丁目

 <宝積寺
 乙訓郡大山崎町大山崎銭原

 <妙喜庵
 乙訓郡大山崎町大山崎竜光

 <待庵
 妙喜庵にある国宝の茶室

 <山崎聖天
 乙訓郡大山崎町大山崎白味才

 <今里城跡
 戦国時代、能勢氏によって乙訓寺の南の風呂川右岸に築かれた城

 <小畑川
 京都盆地の南西縁を流れる、桂川の支流

【乙訓郡ゆかりの人物】

 <古田織部
 1576年(皇紀2236)天正4年
 山城国乙訓郡上久世荘(現在の南区)の代官となる

 <中山修一
 文献上だけの「幻の都」といわれていた長岡京を、発掘調査などにより、実在したことを証明した
 1000回をこえる長岡京の発掘調査を行い、その保存活動に尽力した

【乙訓郡へのアクセス】

 JR東海道線(京都線) 山崎駅
 阪急電車 京都線 大山崎駅
 阪急バス 阪急大山崎


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