逢坂関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境とされる逢坂山に設けられた関所
東海道と東山道(後の中山道)の2本が逢坂関を越えるため、交通の要となる重要な関であった
逢坂関と、伊勢の鈴鹿関、美濃の不破関で、三関とされた
山城国と近江国との境の峠道で、京都側には東山区の日ノ岡峠、大津側には逢坂山峠があった
2つの坂が出会うので、「逢坂関」「相坂関」「合坂関」などと名付けられたといわれる
逢坂関が、畿内の北限とされ、ここを越えれば東国とされた
かつては、険しい峠道だったが、多くの物資を運ぶ交通の要所で、峠が掘り下げられていき、
現在に至って、逢坂関のあった場所が定かでない
<三関>
奈良時代の三関である伊勢の鈴鹿関、美濃の不破関、越前の愛発関から、
平安時代中期までには、愛発関に代わって、逢坂関が三関の一つとされる
枕草子の「関は」の段には、「逢坂、須磨の関、鈴鹿の関」と記されている
<関寺>
逢坂2丁目の長安寺付近にあった寺院
「更級日記」や「石山寺縁起」などに、逢坂関との関連が記されている
<石碑「逢坂山関址」>
大津市大谷町の国道1号線沿いの逢坂山検問所(京阪京津線大谷駅の東)の脇に建てられている
<関蝉丸神社上社・関蝉丸神社下社>
平安時代中期の琵琶法師で歌人の蝉丸が祀られている
<走井餅>
この付近の名物菓子
<歌枕>
平安時代から、蝉丸法師や清少納言、紀貫之など多くの歌人が逢坂関を歌った歌枕の地とされる
<小倉百人一首>
(第10番)これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸「後撰和歌集」)
(第62番)夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言「後拾遺集」)
藤原行成へ贈った歌
泉涌寺仏殿わきに歌碑が建てられている
<和歌>
逢坂は 人越えやすき 関なれば 鶏鳴かぬにも あけて待つとか (藤原行成)
清少納言への返歌
逢坂の関の清水に影見えて今やひくらむ望月の駒 (紀貫之「拾遺集」)
逢坂の関の岩かどふみならし山たちいづる桐原の駒 (藤原高遠「拾遺集」)
鴬の鳴けどもいまだ降る雪に杉の葉白き逢坂の山 (後鳥羽院)
逢坂や梢の花を吹くからに嵐ぞかすむ関の杉むら (宮内卿「新古今和歌集」)
走井の程を知らばや逢坂の関ひきこゆる夕かげの駒 (元輔)
走井の筧の水の涼しさに 超えもやられず逢坂の関 (清輔)