信楽街道(しがらきかいどう)は、宇治田原町をほぼ東西に横切っている街道
山城国と近江国の国境となる裏白峠を越えて、信楽(現在の滋賀県甲賀郡信楽町)に抜ける
国道307号の一区間
綴喜郡宇治田原町の西の玄関口である郷之口下町交差点(京都府道62号線)から、
贄田(ねだ)・立川・湯屋谷を通り、奥山田の裏白峠を越えて信楽に至る
現在は、国道307号の一区間になっている
<郷之口(ごうのくち)>
宇治田原郷の西の入り口
京都府道62号宇治木屋線との交差点
<宇治田原城跡(山口城跡)>
宇治田原町郷之口田中あたり
織田信長の家臣 山口秀景の居城
徳川家康の家康伊賀越えの一行が昼食をとり、馬を乗り換えたといわれる
現在は、茶畑となっており遺構はない
<立川(たちかわ)>
鷲峰山(相楽郡)への登山口
三宮神社、紅葉の名所である大道神社(天神宮)、平治の乱で都を逃れた信西(藤原通憲)の信西入道塚などがある
<岩山交差点>
奈良時代に奈良と、近江国を結ぶ近道だった田原道の起点
現在の京都府道・滋賀県道783号宇治田原大石東線との交差点
禅定寺(宇治田原)を経て、滋賀県大津市の瀬田に至る
<湯屋谷(やんたん)>
煎茶を考案した永谷宗円の生家、茶宗明神社などがある
<奥山田(おくやまだ)>
近江国信楽(滋賀県甲賀郡信楽町)に隣接する地域
天神社(京都府登録文化財)、快慶作の不動明王が祀られている正寿院(風鈴寺)などがある
徳川家康の家康伊賀越えの一行が、山口秀景の屋敷「山口館」で宿泊したといわれる
<松峠>
奥山田地区の信楽街道と、近江国瀬田への南北を結ぶ瀬田道と交わる要衝の地
井戸小屋、向かいの旅籠跡、お地蔵さんの小祠などがある
かつては、この場所に3本の松の木があり「三本松峠」と称されていたが、松が枯れて「松峠」となったといわれる
<裏白峠(うらじろとうげ)>
近江国信楽(滋賀県甲賀郡信楽町)との国境
標高380m
近江は山城の裏側にあり「うらしろ」と称されたのが名称の由来といわれる
「山城名勝志」によると「越田越」とも称される
<家康伊賀越えの道>
戦国時代
堺を遊行していた徳川家康が、本能寺の変を知り、明智光秀の追討から逃れるため信楽街道を経由して三河国へ逃亡したといわれる