竹田街道(たけだかいどう)は、京の七口の一つの竹田口から、伏見を結ぶ南北の街道
江戸時代に、交通の要所だった伏見港とを結ぶために伏見街道に並行して整備された
京都と奈良を結ぶ奈良街道のルートの一つで、
墨染交差点で、伏見街道と合流して、南下する「大和街道」と、宇治に迂回する「奈良街道」に分岐する
京街道(大坂街道)の一部区間ともされる
京から伏見までの、狭い本町通(伏見街道)を補うために整備された街道
<竹田街道八条>
奈良街道(竹田街道)の起点
京の七口の一つの竹田口があったところとされる
京都駅南東付近交差点から府道115号として南下する
<竹田街道十条>
竹田街道が、東側から左折して南下する国道24号と合流する
<竹田街道久世橋通>
国道24号(竹田街道)が、国道1号と交差する
<伏見区深草泓ノ壺町交差点>
国道24号(竹田街道)から、左折して、大和街道(墨染通)として東に進む
<墨染交差点>
西からの大和街道(墨染通)と、北からの伏見街道(本町通)とが合流するとともに、
東に向かい宇治を経由する奈良街道(墨染通)と、南に向かい豊臣秀吉が開拓した伏見を通る「大和街道」に分岐する
<拾遺都名所図会>
竹田は、鳥羽の東にあり、洛陽東洞院、油小路等の南に当りて、伏見往来の順路なり
竹田街道を通ふ車牛は、日毎に伏見より都へ貨物を積登る也。
炎暑には、夜を日にかへて牽通ふは、牛の疲れざる要意にして、牛を飼ふのならひなりとそ
と記されて、二両の牛車が通る光景の挿図が描かれている
<車石・車道>
車道にするための車石が、東洞院通七条から伏見町内まで敷設され、牛車による物資の輸送が行われていた
車石は、六甲花崗岩製、車幅は約1.5m
この区間は、市中の小河川が集まる低湿地帯のため、雨が降ると土道のぬかるみに牛車の車輪がとられていたため
車輪の通る箇所に板や石を敷くようになり、やがて規格化された敷石(車石)をレールのように二列に敷き並べるようになった
車道は、通行人の安全確保から、人や馬が通る道より一段低いところに設けられていた
単線のため午前中は上り、午後は下りの一方通行になっていた
梅雨や台風の時期になると、川の水があふれ、車道に水が流れ込み、小川のようになり、竹田街道の風物詩になっていた
御香宮神社や陶化小学校などに、
竹田街道の棒鼻(ぼうはな)付近に敷き詰められていた車石(くるまいし)(輪型石・輪石)の一部が残されている
<日本最初の市電>
京都電気鉄道伏見線:塩小路高倉 七条停車場-伏見下油掛町の間の約6.7kmを狭軌道で開業した
ほぼ竹田街道に沿って敷設された
京都市に買収され、広軌化される
京都市営地下鉄が計画され廃止される