鳥羽街道(とばかいどう)は、羅城門跡から鳥羽を通り、伏見区の淀の納所に至る街道
淀からは大坂へと通じる道が続いており、京街道、大坂街道とも称された
平安京造営にあたり、平安京の玄関口である羅城門から真っ直ぐ南下する鳥羽作り道(とばつくりみち)が作られたのが由来
平安京造営にあたり、平安京の玄関口である羅城門から真っ直ぐ南下する鳥羽作り道(とばつくりみち)が作られたのが由来
現在の千本通の九条通(羅城門跡)より南が鳥羽街道となり、
羅城門から北の大内裏までは、平安京の中央大通りである朱雀大路が一直線に伸びていた
豊臣秀吉は、伏見城の築城のときに、巨椋池に堤をめぐらせ大規模な治水・道路工事を行い、
現在の下鳥羽と納所との間の桂川左岸に堤を築き、現在の鳥羽街道のルートを開いた
鳥羽街道は、千本通を、羅城門跡から南に下り、下鳥羽(現在の京都南I.C.付近)で鴨川を渡り、
鴨川(途中で桂川に合流する)の堤防沿いに、伏見の淀の納所交差点まで結んでいる
<羅城門跡>
九条通と千本通の交差点北側にある
<千本通>
現在の千本通は、平安京の玄関口である羅城門から北は、平安京の中央大通りである朱雀大路にあたり、
羅城門から南は、鳥羽作り道(鳥羽街道)にあたる
<鳥羽口(東寺口)>
九条通千本通東入に、御土居の出入口があった
山崎、西宮を経て西へ向かう西国街道(国道171号線)と、鳥羽を経て淀へ向かう鳥羽街道の出入口になっている
<吉祥院天満宮常夜灯>
十条通との交差点に常夜燈にならんで、「北向地蔵」の小さな道標が立っている
<上鳥羽>
落ち着いた家並みの中に、簾(すだれ)をかけている旧家が散見される地域
<久世橋通>
<恋塚浄禅寺>
六地蔵めぐりの「鳥羽地蔵」の寺院
<名神高速道路>
西高瀬川と鴨川に挟まれるようにして名神高速の高架をくぐる
<小枝橋>
千本通が左折となり、鴨川に架かる小枝橋をわたり、堤防と市街地の間の、中二階のような鴨川堤防をゆく
<新城南宮道>
千本通から直進する新城南宮道を城南宮に向かう道
<城南宮>
<おせき餅>
鳥羽街道の名物菓子
<鳥羽伏見戦跡碑>
鳥羽離宮跡の公園にある
<千本通赤池通>
<恋塚寺>
<常高寺>
<増田徳兵衛商店>
街道が左にカーブして鴨川堤防に近づくところに、江戸時代初期創業の「月の桂」醸造元がある
<本光寺>
<鳥羽の大石>
二条城修理のために運ぶ途中で、川に沈んだ石
<龍門橋跡>
この付近で西高瀬川が合流してくる
<鳥羽伏見の戦跡碑>
大きな民家の前に建てられている
<本願寺>
<法傳寺>
<戊辰東軍戦死碑>
<円光大師御旧跡>
<魚屋通>
下鳥羽から横大路地区にはいる交差点で千本通は堤防から離れていく
<鴨川・桂川合流地点>
<楽水庵>
<田中神社御旅所>
<羽束師橋>
桂川に架かる京都外環状線の橋
<草津湊跡>
<魚市場跡碑>
淀川を遡ってきた鮮魚はここで陸揚げされ、鳥羽街道で都まで運ばれた
<西光寺>
<浄徳寺>
<阿弥陀寺>
<愛宕茶屋跡>
<念仏寺>
<妙教寺>
境内には「淀古城跡」「戊辰役砲弾貫通跡碑」「戊辰之役東軍戦死者之碑」「木村久夫歌碑」などがある
<五番橋>
<納所村道路元標>
<唐人雁木旧址碑>
宇治川の船着場跡を示す「唐人雁木旧趾」碑が立つ
江戸時代、宇治川の流れは納所で桂川に合流しており、唐人雁木は合流地点直前の宇治川右岸にあたる
その地点から100mほど伏見よりの堤防に淀城跡城内とを結ぶ小橋があり、伏見から下ってきた京街道と合流していた
<納所交差点(京街道合流地点)>
江戸時代、鳥羽街道は、現在の納所交差点で宇治川に突き当たっており、船着場があった
<おせき餅>
餅の上につぶ餡をのせた鳥羽街道の名物菓子
白い餅と草餅の二種類がある
江戸時代
城南宮の近くで「せき女」という娘が茶屋を営み、鳥羽街道を通る旅人に編み笠の形をした餅を笠の裏に並べて売ったのが由来