阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)は、東山区東山七条の東方にある山
東山三十六峰の中で、特定しやすい山の一つで、真東の円錐状の優艶な山
阿弥陀ヶ峰へは、新日吉神宮・京都女子大学の北側の「女坂」を通り、登山口から頂上まで565段の石段がある
東山区東山七条の東方にある山
標高:196m
東山三十六峰の一つ
東大路通から見て、最も立派に美しく見える山といわれる
清少納言は「枕草子」第12段で、清水寺本堂から子安塔越しに見える峰の姿が美しいと感銘を受け
「峰は、譲葉(ゆずるは)の峰、阿弥陀の峰、弥高(いやたか)の峰」と詠っている
<阿弥陀ヶ峰城(あみだがみねじょう)>
戦国時代
阿弥陀ヶ峰の山頂付近に築かれた山城
洛中と山科を結ぶ重要な街道であった渋谷越を守護するために築かれたといわれる
南斜面には、曲輪が残存している
<豊国廟>
豊臣秀吉は、遺言によってここ阿弥陀ケ峰に葬られ、山頂に廟が建立された
参道の565段の石段を登り切ったところにある
1898年(皇紀2558)明治31年
豊臣秀吉の「太閤秀吉300年祭」に際し豊国会の手で廟宇が再建され、墳上に高さ約10mの五輪石塔が建てられた
豊臣秀吉は、極楽浄土での再生、神格化を望んでいたとされ、
方広寺に大仏を造営し、その隣に豊臣秀吉を祀る豊国神社を建立させ、その真西に、西方浄土をみなす本願寺を移転させ
日が登る真東の阿弥陀ケ峰の山頂に葬られ豊国廟を建立させたといわれる
本願寺−豊国神社−豊国廟が東西の一直線上に並ぶが、徳川家康がその直線上に東本願寺を建てさせて、
豊臣秀吉の神格化を防いだといわれる
<鳥辺野>
阿弥陀ケ峰北麓の五条坂から南麓の今熊野にいたる丘陵地で、鳥辺山のふもと一帯をいう
平安時代以前から、葬送の地となっている