瓜生山(うりゅうざん)は、左京区北白川の北東にある山
将軍 足利義晴に仕えた管領 細川高国が築城した勝軍山城や、富岡鉄斎の揮毫による「白幽子巌居之跡」の碑がある
瓜生山山頂へは、「北白川史跡と自然の道」として整備されている
<大山祇神社>
<白幽子厳居之跡>
江戸時代
文禄年間(1592年〜1596年)頃
隠士 白幽子(はくゆうし)が、山中の岩窟に住み常に金剛経をよみ、数百年生きた「白幽子仙人」「白川の仙人」ともいわれる
白幽子は実在した人物で、石川丈山の弟子であったといわれる
富岡鉄斎の揮毫による「白幽子巌居之蹟」の七字の石碑が立っている
<勝軍地蔵堂>
狸谷不動尊奥の院の裏に祠(石室)があり、そこに勝軍地蔵が置かれていたといわれる
南北朝時代
1361年(皇紀2021)正平16年/康安元年
山頂に戦勝祈願の地蔵堂が建てられたといわれる
1762年(皇紀2422)宝暦12年
現在の日本バプテスト病院の西側(左京区北白川瓜生山町)に移転された
<勝軍山城(しょうぐんやまじょう)>
「ニ水記」(1504年(皇紀2164)永正元年から1533年(皇紀2193)天文2年2月)によると
瓜生山の山頂を本丸とし、近江より上洛するときの前線基地としての役割があったといわれる
都と近江を結ぶ白鳥越があり、眼下に滋賀越を望む戦略的にも重要な位置にあった
戦国時代
1527年(皇紀2187)大永7年
将軍 足利義晴に仕える管領 細川高国が、近江守護 六角定頼の援助を受けて築城し入城する
曲輪や平地など城跡を示す遺構が現存する
「北白川城(きたしらかわじょう)」「瓜生山城(うりょうさんじょう)」「勝軍地蔵山城(しょうぐんじぞうやまじょう)」とも称される
<三十六童子>
狸谷不動尊から続いて、三十六童子が安置されている
<狸谷不動尊(たぬきだにふどうそん)>
本尊に狸谷不動明王を祀り、災難除けの不動尊とされる
<歌枕>
「うりゅうやま」が歌枕になっている
「瓜生山 紅葉の中に鳴く鹿の声は 深くも聞こえ来るかな」(元真集)
<名前の由来>
「雍州府志」によると
播磨国からこの山に現われた牛頭天王がキュウリを好物としたことに由来する記されている