千代の古道(ちよのふるみち)は、平安時代の貴族が北嵯峨に遊行のときに通った道
嵐電北野線 常盤・鳴滝あたりから、音戸山(おんどやま)の西側に沿って広沢池の東南を結ぶ
都から大覚寺に通じる小道でもあった
新古今和歌集の藤原定家の歌など、平安時代の多くの歌にも詠まれている
十二単衣の姫君や供連れの公達たちが牛車を仕立てて、水遊びやお月見のために通ったといわれる
地名に「嵯峨野千代の道町」が残る
<さざれ石>
途中の、さざれ石山(音戸山)の山頂にある細石
「君が代」の発祥の地ともいわれる
平安時代初期
嵯峨天皇が嵯峨院(現在の大覚寺)へ行幸の際、ここを休息の場所とし「さざれ石」と名付けたといわれる
在原行平
「嵯峨の山 みゆき絶えにし 芹川の 千代のふる道 跡はありけり」
後撰和歌集
藤原定家
「嵯峨の山 千代のふる道 あととめて また露わくる 望月の駒」
新古今和歌集