御幸町通(ごこまちどおり)は、京都市繁華街の南北の通り
豊臣秀吉の都市改造政策による天正の地割で新たに造営された通り
仏光寺下ル
<開智小学校跡>
<京都市学校歴史博物館>
<名前の由来>
豊臣秀吉の都市改造政策の一環で新設され、
豊臣秀吉が、伏見から京都御所に参内するときに使っていたことにちなむといわれる
<新御幸町>
上京区下長者通浄福寺西
江戸時代中期
京都御所の拡張が行われ、丸太町通から北が京都御所に取り込まれ、代替地として賜わった地
<堀川波鼓>
京都市の南北に走る通りを読み込んだ歌
寺町通と麩屋町通の間で歌われている
<京羽二重>
江戸時代初期の実用的な地誌・京都観光案内書
御幸町通の由来なども記されている