御池通(おいけどおり)は、京都市の中央部を縦断する主要な東西の幹線路の一つ
東は鴨川大橋の川端通から、西は太秦の天神川通までの4.9km
途中、二条駅で分断されている
川端通から堀川通の間は、京都市内で最も通りの幅が広く、京都市のシンボルロードとなっている
地下鉄東西線の京都市役所前・烏丸御池・二条城前の3つの駅がある
大きな池があった神泉苑の横を通るため、「御池通」と称されるようになったといわれる
824年(皇紀1484)天長元年
空海が、法成就池(ほうじょうじゅいけ)の中央に、祈雨の修法を行った善女龍王を勧請して祀ったのが神泉苑の由来
1762年(皇紀2422)宝暦12年
「京町鑑」に、「此通の号は神泉苑の前通ゆへ斯くよぶ」と記されている
二条関白家の邸跡で、織田信長の二条新御所もあり、
室町御池上ルには「二条殿御池跡の碑」が現存し、そこから名付けられたともいわれる
現在も、烏丸御池付近には「御池之町」「龍池町」「二条殿町」の地名が残る
<川端通〜堀川通間>
第二次世界大戦のとき、沿道にあった家屋を強制疎開させて延焼を防ぐ防火帯とした跡で、
片側4車線の広い通りとなっている
街路灯、信号機、交差道路の標柱などのデザインが統一されている
祇園祭の山鉾巡行や、
時代祭の時代行列の経路の一部となっている
地下鉄東西線の京都市役所前・烏丸御池・二条城前の3つの駅がある
<御池沿道関係者協議会>
2004年(皇紀2664)平成16年8月
「御池沿道関係者協議会」により、御池通の具体的な目標と実現化方策がまとめられた
・シンボルロードとしてふさわしい建物の形成
・にぎわいと文化の創出
・花と緑が溢れる憩いの環境
・パートナーシップによる育み
<丸竹夷>
京都の東西の通り名の歌で、「丸竹夷二押」で、押小路の次に歌われる