近江屋事件(おうみやじけん)は、河原町通蛸薬師の醤油屋「近江屋」で、
薩長同盟と大政奉還の立役者だった土佐藩の坂本龍馬と盟友 中岡慎太郎が、京都見廻組の襲撃を受け、二人とも殉死した事件
近江屋は、土佐藩邸からは、河原町通を挟んですぐ向かい側にあった
近江屋跡の北隣には、「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」の石碑が立つ
<醤油商「近江屋」>
京都市中京区河原町通蛸薬師下ル塩屋町
近江屋は、「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」と記された石碑が建っている南隣にあった
「近江屋」は、醤油商の屋号
現在の四条河原町一帯に土地を持っていた名家 井口家が経営していた
河原町通を挟んですぐ向かい側に土佐藩邸があった
幕末の井口新助の代に土佐藩の御用達となる
お店の2階(井口邸)が、龍馬ら土佐藩藩士の滞在先となっていた
昭和時代前期まで、「近新商店」として醤油を製造していたが、戦後に廃業となる
お店は現存しない
<近江屋の土蔵>
近江屋では、坂本龍馬のために、土蔵を改造して隠れ家にした
万が一の時には、土蔵から梯子を使って、裏の稱名寺に逃げられるようになっていたといわれる
事件のときには、中岡慎太郎が訪ねてきて、母屋の2階奥の八畳間で話し合っていた
<近江屋跡石碑>
近江屋の跡地の北隣に、京都市教育委員会によって、「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」の石碑が建立されている
石碑建立のとき、跡地の土地所有者の了承が得られなかったため、近江屋跡の北隣に立てられたとされる
<坂本龍馬を斬った刀>
霊山歴史館に保管されている
京都見廻組の桂早之助が斬りかかったと推定されている
<京都見廻組>
京都見廻組としては、坂本龍馬は、寺田屋において捕り方を射殺した殺人犯として警察権の行使だったとされる
中岡慎太郎を巻き添えにしたことで、土佐藩との軋轢を恐れて内密にされたといわれる