新選組(しんせんぐみ) 浪士組(ろうしぐみ)

江戸時代末期の幕末維新に、尊王攘夷運動の弾圧に活動した浪士隊

発足時:浪士組:200名ほど
京都残留組:壬生浪士:24名
新組織:新選組:230名ほど

屯所:壬生村(八木邸)、後に、金戒光明寺西本願寺

 浪士組(ろうしぐみ)は、江戸時代末期に、将軍 徳川家茂の上洛による将軍警護のために作られた組織

 新選組(しんせんぐみ)は、幕末維新の京都に潜伏する過激派尊皇攘夷論者の取り締まりや、治安維持を目的に活動した

 京都守護職であった会津藩藩主の松平容保に配下に置かれる

 大政奉還の後は、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った

【浪士組の歴史・経緯】

 浪士組(ろうしぐみ)は、江戸幕府将軍・徳川家茂上洛にあわせて、将軍警護のために作られた組織

 幕末維新
 1862年(皇紀2522)文久2年
 浪士組が、将軍 徳川家茂が上洛するときの警護として、京都の治安を維持する名目で江戸幕府により結成される
 庄内藩の郷士清河八郎が中心となって結成した浪士組がその前身となっている
 浪士取締役には、松平主税之介・鵜殿鳩翁・窪田治部右衛門・山岡鉄舟・中条金之助・佐々木只三郎らが任じられる

 1863年(皇紀2523)文久3年2月
 200名余りの浪士組が、清河八郎・山岡鉄舟らに率いられて上洛し、
 壬生村の郷士 前川家屋敷・八木邸に分宿する
 しかし、直後に清河八郎が尊皇攘夷派と通じたために勅諚が下され、浪士組はまとめて京都を去ることとなる

【新選組の歴史・経緯】


【新選組ゆかりの地】

 <壬生寺
 新選組の隊士たちが武芸の訓練などを行ったところ

 <八木邸
 新選組の最初の駐屯地

 <旧前川邸
 八木邸とともに新選組の最初の駐屯地

 <新選組遺蹟
 浪士組として上洛して最初に屯所とした八木邸の門前に石碑が立つ

 <新選組屯所遺蹟
 浪士組として上洛して最初に屯所とした八木邸の門前に石碑が立つ

 <新選組洛中最後の屋敷跡
 将軍 徳川慶喜の直属の軍隊となったときに葛野郡不動堂村に建立された屋敷跡とされるところに石碑が立つ

【新選組ゆかりの人物】

 <近藤勇
 局長

 <芹沢鴨>
 初期の局長

 <山南敬助
 総長

 <土方歳三
 近藤勇の右腕として「鬼の副長」と称される

 <新見錦>
 初期の副長

 <伊東甲子太郎
 第二次隊士募集のときに近藤勇の勧誘で加わる

 <松平容保
 初期の浪士組を預かった京都守護職であり、会津藩藩主

 <徳川慶喜
 後に新選組を直属の軍隊とした

【その他】

 <隊旗>
 「誠」の一字

 <羽織>
 袖口を山形の模様で染め抜かれたもの


 <「薄桜鬼 〜新選組奇譚〜(はくおうき しんせんぐみきたん)」
 女性向け恋愛アドベンチャーゲーム原作のテレビアニメ
 幕末維新の京都が舞台
 主人公の雪村千鶴は江戸育ちの蘭学医の娘
 京で仕事をしていた父親 綱道と連絡が取れなくなり心配になった千鶴は、男装をして京の町を訪れ、
新選組と出会い、父親の行方を共に捜すことになる


【京都検定 第1回3級】

6.京都守護職であった松平容保率いる会津藩が本陣とした寺院はどこか?

7.元治元年(1864年)、禁門の変(蛤御門の変)が勃発したきっかけとなった、新選組が襲撃した、尊皇攘夷派の長州藩士らが会合していた三条木屋町西入の旅籠はどこか?

【京都検定 第10回3級】

【京都検定 第11回3級】

【京都検定 第14回3級】

【京都検定 第20回3級】

【京都検定 第3回2級】

【京都検定 第10回2級】

【京都検定 第11回2級】

【京都検定 第6回1級】

【京都検定 第7回1級】

【京都検定 第11回1級】

【京都検定 第13回1級】

【京都検定 第17回1級】


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