鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)は、幕府軍と新政府軍の間で行われた戊辰戦争の初戦
京都南郊の上鳥羽・下鳥羽・竹田・伏見・橋本での戦いとなった
明治維新を決定させた戊辰戦争の発端となった戦い
<大政奉還>
<王政復古の大号令>
<鳥羽・伏見の戦い>
<戊辰戦争>
<城南宮>
参道に並べられていた薩摩軍の大砲が旧幕府軍に向かって放たれ、鳥羽・伏見の戦いが始まる
<御香宮神社>
「明治維新 伏見の戦跡」の石碑が立つ
新政府軍が、東側台地に砲兵陣地をおき、大山弥助(後の元帥 大山巖)の指揮により、伏見奉行所を攻撃した
御香宮神社の標高約90m、伏見奉行所の標高約60m、標高差約30m、距離約500mあった
<明治維新 伏見の戦跡>
御香宮神社の本殿の南東に石碑が立てられている
<伏見奉行所跡>
新選組や旧幕府軍が駐屯したところで、新政府軍からの砲火をあび焼失する
<維新戦跡>
伏見奉行所跡に戦跡を示す石碑が立つ
<東本願寺伏見別院>
石碑が立つ
<文相寺>
「戊辰役東軍戦死者埋骨地」の石碑が立つ
<長円寺>
山門前に「戊辰役東軍戦死者之碑」、敷地内に「戊辰役東軍戦死者埋骨地」の石碑が立つ
<淀城>
譜代大名 稲葉氏の居城
桂川・宇治川・木津川の三川が合流する水路の要所として、徳川の信任厚い稲葉氏が陣取った
城主 稲葉正邦らが、新政府軍に追われる旧幕府軍の入城を拒絶した
<妙教寺>
元淀城本丸があったところ
砲弾が貫通した壁が現存する
境内に「史跡淀古城戊辰役砲弾貫通跡」と「戊辰役東軍戦死者之碑」の石碑が立つ
本堂には、東軍戦死者の位牌がある
<戊辰役東軍西軍激戦之地碑>
京都競馬場の駐車場脇に、埋骨の石碑と有志による慰霊碑がある
「幕末の戦闘ほど世に悲しい出来事はない それが日本人同族の争いでもあり
幕軍・官軍のいずれもが正しいと信じたるままそれぞれの道へと己等の誠を尽した
然るに流れ行く一瞬の時差により或るは官軍となり又或るは幕軍となって士道に殉じたので有ります
ここに百年の歳月を閉じ 其の縁り有る此の地に不幸賊名に斃れたる誇り有る人々に対し今慰霊碑の建つるを見る
在天の魂依って瞑すべし 昭和四十四年」と記されている