北山文化(きたやまぶんか)(Kitayama Bunka)

時期:室町時代初期
    1368年(皇紀2028)正平23年/応安元年〜1441年(皇紀2101)嘉吉元年頃
    室町幕府将軍 足利義満(3代)、足利義持(4代)、足利義量(5代)、足利義教(6代)あたり

 北山文化(きたやまぶんか)とは、室町時代初期の文化

 室町三代将軍 足利義満が洛北につくった北山第(北山殿・北山山荘)(後の金閣寺)に代表される

 「東山文化(15世紀後半)」に対して「北山文化」と称され、東山文化と合わせて「室町文化」とも称される

 南北朝時代の動乱の後に安定した幕府政権が確立したことで武士の力が強くなり、
それまでの伝統的な公家文化と、禅宗の影響を強く受けた武家文化とが融合した文化が形成される

 民衆文化とも交流し始める

 明との勘合貿易や、禅宗を通じて大陸文化の影響も受けた

【宗教】

 <禅宗文化>
 公家の権力低下により、天台宗真言宗旧仏教が衰え、鎌倉新仏教が栄える

 足利義満は、五山十刹の制を定め、
 禅宗の一派の臨済宗が、幕府の保護によりさらに権威を強める
 禅宗諸派の林下の寺院は、地方武士や民衆の支持を受けるようになる

 禅宗の世界は、規律と茶礼を基本とし、茶の湯立花を発展させる

【建築】

 <鹿苑寺 舎利殿(金閣寺)
 1397年(皇紀2057)応永4年
 北山文化を代表する建築物で、足利義満が北山第に造営した
 その規模は御所に匹敵し、政治中枢の全てが集約され一切の政務が行われていた
 初層の法水院(ほすいいん)は、公家風の寝殿造で阿弥陀堂
 二層目の潮音洞(ちょうおんどう)は、和様の住宅風
 三層目の究竟頂(くつきょうちょう)は、禅宗様の仏堂風で仏舎利が置かれる

 「北山第行幸記」には、
 後小松天皇の北山第・足利義満への行幸のことや、足利義満の権力の強さなどが記されている

 <枯山水庭園
 禅宗の自然観を表した庭園が造園される

【文学】

 <五山文学>
 足利将軍家の帰依と、室町幕府の保護を受けて、臨済宗五山十刹の禅僧たちにより
宋学の研究や、漢詩文の創作が盛んに行われた

 春屋妙葩・義堂周信・絶海中津という詩文に優れた禅僧を輩出する

 <連歌>
 二条良基により、100句を基準とする長連歌の形式が定められた

【絵画】

 <水墨画>
 水墨画も、禅僧により、中国 宋・元の文化の一つとして、禅の精神を表現する宗教画として伝わる
 後に、山水を取り入れた風景画として、墨の濃淡の強弱を巧みに取り入れた道釈画や山水花鳥画などの和様水墨画に発展する


 如拙  相国寺の禅僧 水墨画を開拓した先駆者 「瓢箪図」
 同文  相国寺の禅僧 水墨画を発展させる
 明兆  東福寺の禅僧 中国 元・宋の画法を習得する
 周文  相国寺の禅僧 如拙に学び、幕府の御用絵師となり、雪舟の師となる
 雪舟  相国寺の禅僧 水墨画を集大成させたといわれる

 <唐物唐絵>
 三阿弥(能阿弥・芸阿弥・相阿弥)に代表される唐物奉行の同朋衆が、出納と目利き・表装をさせ座敷装飾の規定に発展させる

【彫刻】

 <能面

【芸能】

 <猿楽能
 神社の祭礼などで興行されていた田楽・猿楽が、鎌倉時代には、猿楽師集団の座に発展する

 観阿弥世阿弥親子により、物真似をもとに歌舞伎的要素が取り入れられ、幽玄な猿楽能に大成され、
 足利義満の庇護を受けて、能楽への発展の基盤を築く

 <狂言
 猿楽の滑稽味を洗練させた庶民的な笑劇で、庶民の立場から大名や山伏・僧侶などを風刺される
 南北朝頃から室町時代にその形が整えられる
 三大念仏狂言(壬生千本ゑんま堂嵯峨)が無形文化財として残っている


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