京都所司代(きょうとしょしだい)は、江戸時代に京都の治安維持の任務にあたった江戸幕府の職名
京都に駐在し、京都の警備、朝廷・公家の監察、京都・伏見・奈良の町奉行の管理、
近畿全域の訴訟の裁決、西国大名の監察などにあたった
京都所司代は、京都の治安維持の任務にあたった江戸幕府の職名
定員1名
3万石以上の譜代大名から任命された
役料1万石が給され、与力30騎(後には50騎)、同心100人が付属した
京都の制圧、朝廷・公家の監察、西日本諸大名の監視、五畿内や近江・丹波・播磨の8カ国の民政を総括した
初期には、徳川家康・徳川秀忠・徳川家光の歴代将軍が度々上洛したときの警固にもあたった
役所や住居は、二条城の北に隣接した場所に設けられた
支配下に、京都とその周辺の行政のために京都郡代が置かれた
後に、町中を担当する京都町奉行と、周辺部や皇室領・公家領を管理する京都代官に分離された
京都所司代は、老中への出世の通過点となった
幕末動乱期は、所司代だけでは京の治安を治めるのは難しく、その上の最高機構として京都守護職がおかれ、
京都所司代は京都守護職の下に入った
初代:板倉勝重:1601年−1619年
2代:板倉重宗:1619年−1654年
3代:牧野親成:1654年−1668年
4代:板倉重矩:1668年−1670年
5代:永井尚庸:1670年−1678年
6代:戸田忠昌:1678年−1681年
7代:稲葉正往:1681年−1685年
8代:土屋政直:1685年−1687年
9代:内藤重頼:1687年−1690年
10代:松平信興:1690年−1691年
11代:小笠原長重:1691年−1697年
12代:松平信庸:1697年−1714年
13代:水野忠之:1714年−1717年
14代:松平忠周:1717年−1724年
15代:牧野英成:1724年−1734年
16代:土岐頼稔:1734年−1742年
17代:牧野貞通:1742年−1749年
18代:松平資訓:1749年−1752年
19代:酒井忠用:1752年−1756年
20代:松平輝高:1756年−1758年
21代:井上正経:1758年−1760年
22代:阿部正右:1760年−1764年
23代:阿部正允:1764年−1768年
24代:土井利里:1769年−1777年
25代:久世広明:1777年−1781年
26代:牧野貞長:1781年ー1784年
27代:戸田忠寛:1784年−1789年
28代:太田資愛:1789年−1792年
29代:堀田正順:1792年−1798年
30代:牧野忠精:1798年−1801年
31代:土井利厚:1801年−1802年
32代:青山忠裕:1802年−1804年
33代:稲葉正謖:1804年−1806年
34代:阿部正由:1806年−1808年
35代:酒井忠進:1808年−1815年
36代:大久保忠真:1815年−1818年
37代:松平乗寛:1818年−1822年
38代:内藤信敦:1823年−1825年
39代:松平康任:1825年−1826年
40代:水野忠邦:1826年−1828年
41代:松平宗発:1828年−1832年
42代:太田資始:1832年−1834年
43代:松平信順:1834年−1837年
44代:土井利位:1837年−1838年
45代:間部詮勝:1838年−1840年
46代:牧野忠雅:1840年−1843年
47代:酒井忠義:1843年−1850年
48代:内藤信親:1850年−1851年
49代:脇坂安宅:1851年−1857年
50代:本多忠民:1857年−1858年
51代:酒井忠義:1858年−1862年
52代:松平宗秀:1862年
53代:牧野忠恭:1862年−1863年
54代:稲葉正邦:1863年−1864年
55代:松平定敬:1864年−1867年
<所司>
侍所:さむらいどころ)の長官を所司という
所司の代理を所司代という
江戸幕府には、侍所は、設けられなかった