徳川実紀(とくがわじっき)御実紀(ごじっき)

江戸時代後期に編纂された江戸幕府の公式史書

正式名称:御実紀(ごじっき)

起稿:1809年(皇紀2469)文化6年2月
完成献上:1843年(皇紀2503)天保14年12月

全517冊

発起人・監修:大学頭 林述斎
実務・執筆:図書頭 成島司直

 徳川実紀(とくがわじっき)は、江戸時代後期に編纂された江戸幕府の公式史書

 初代将軍 徳川家康から10代将軍 徳川家治まで、将軍ごとに編を分けて年月を追い事績が記載されている

 11代将軍 徳川家斉以降についても「続徳川実紀」の編纂が続けられたが、明治時代となり未完成のまま終った

 「徳川実紀」「続徳川実紀」ともに「国史大系」に所収されている

【徳川実紀の経緯】


【徳川実紀】

 徳川家康から徳川家治まで、徳川家10代の将軍ごとに編を分けて年月を追い事績が記載されている史書

 歴代将軍の諡号を冠して、それぞれの将軍に関する記録を「History/EdoTokugawaJikki.html実紀」と称され、それらを総称して「御実紀」と称する
 「徳川実紀」は、明治時代以降に称された通称


 編纂の方針と凡例が、巻頭の「御実紀成書例」に記載されている

 将軍の動静を中心に、幕府の施策・儀式・行事・人事・賞罰・行政などが記載されている
 幕府の日記・諸記録・編纂物を元にされており、主観をはさまず史料を忠実に記載されている

 各将軍ごとに、逸事・嘉言徳行を記した附録がつけられている

 平仮名交り文で統一されている


 発起人の大学頭 林述斎が監修、実務は、図書頭 成島司直が行い、
 編纂本部である「御実紀調所」は、成島司直の邸宅に置かれ、20名ほどの編纂員がいた


 稿本、正本、副本、日光東照宮奉納献上本の4種がある

 正本献上本は、全517冊(本編447冊、附録68冊、成書例・総目録・引用書目2冊)
 通し巻数はない
 内閣文庫所蔵、一部の巻が散逸している

 稿本は、全291冊、静嘉堂文庫所蔵

 副本は、正本に比べて出典注記が細かく記載されており、国史大系の底本としても用いられた
 林復斎、成島良譲(筑山,稼堂)らが従事した
 関東大震災により、貴族院図書室内で焼失した

 日光東照宮奉納献上本は全516冊


 <御実紀成書例・総目録 1巻>
 <東照宮御実紀 - 10巻(附録25巻)> 徳川家康の記録
 <台徳院殿御実紀 60巻(附録5巻)> 徳川秀忠の記録
 <大猷院殿御実紀 80巻(附録6巻)> 徳川家光の記録
 <厳有院殿御実紀 60巻(附録2巻)> 徳川家綱の記録
 <常憲院殿御実紀 59巻(附録3巻)> 徳川綱吉の記録
 <文昭院殿御実紀 15巻(附録2巻)> 徳川家宣の記録
 <有章院殿御実紀 15巻(附録1巻)> 徳川家継の記録
 <有徳院殿御実紀 62巻(附録20巻)> 徳川吉宗の記録
 <惇信院殿御実紀 31巻(附録1巻)> 徳川家重の記録
 <浚明院殿御実紀 55巻(附録3巻)> 徳川家治の記録


 「東照宮御実紀」
 巻数が少ないのは、より詳細な史料集である「朝野旧聞裒藁」が同時期に編纂されていることによる
 徳川家康が将軍になる前の「家康伊賀越え」の別説とされる旧道「大坂道」を通り精華町山田を経由したことも記載されている

【続徳川実紀】

 「徳川実紀」の献上に続いて、11代将軍 徳川家斉から、徳川慶喜まで編集作業が進められた

 明治時代まで続けられたが、
 徳川家斉・徳川家慶の2代だけが整備され、
 他の3代は史料を配列、綱文をつけただけの稿本の体裁で終わっている


 <文恭院殿御実紀 72巻(附録5巻)> 徳川家斉の記録
 <慎徳院殿御実紀 17巻(附録なし)> 徳川家慶の記録
 <温恭院殿御実紀 6巻(附録なし)> 徳川家定の記録
 <昭徳院殿御実紀 8巻(次記3巻)> 徳川家茂の記録
 <慶喜公御実紀 3巻(附録なし)> 徳川慶喜の記録



【京都検定 第23回1級】

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