安元の大火(あんげんのたいか)

安元の大火(あんげんのたいか)は、平安時代末期に平安京の中で起こった大火災

太郎焼亡(たろうしょうぼう)とも称される

発生:1177年(皇紀1837)安元3年4月28日亥の刻(午後10時頃)

被害:京の3分の1が焼失したといわれ、2万程の家が焼亡し、死者も数千人となった
   大内裏大極殿も焼失して、それ以降は再建されなかった

【安元の大火の経緯】

【安元の大火の被害】

 <焼失範囲>
 東が富小路通、南が六条通、西が朱雀大路より西側、北が大内裏で、京の3分の1が焼失したといわれる
 2万程の家が焼亡し、死者も数千人となった


 <大内裏の被害>
 大極殿・八省院・会昌門・応天門・朱雀門など
 神祇官・民部省・主計寮・主税寮・式部省など

 大極殿の焼失は、876年(皇紀1536)貞観18年、1058年(皇紀1718)天喜6年に次いで3度目
 天皇は内裏で政務を執り行うようになり、朝堂院としての機能はなくなっており、これ以後は再建されることはなかった


 <施設など>
 大学寮・勧学院など

 多くの公卿の邸宅も焼失した


 <状況を詠った記録>
 「この外殿上人已下、幾多を知らず」(玉葉)
 「家二万余家云々、町数二百余町を焼く云々」(愚昧記)
 「およそ百八十余町 この中人家、幾万家を知らず」(百錬抄)
 「その外、数へ知るに及ばず すべて都のうち、三分が一に及べりとぞ」(方丈記

【その他】

 <次郎焼亡>
 翌年の1178年(皇紀1838)治承2年のに起こった火災


【京都検定 第16回2級】

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