<紫宸殿>
内裏の南部分にある第1の御殿であり、内裏の正殿とされる
南殿(なでん)・南大殿・前殿・正寝とも称される
内裏のほぼ中央の位置には、仁寿殿(じじゆうでん)があり、紫宸殿がその南に建てられた
南に広い白砂の南庭がある
庭を囲んで、東側に宜陽殿・日華門・春興殿・左掖門(さえきもん)
西側に、校書殿(きようしよでん)・月華門・安福殿・右掖門
東西対称的に殿舎・門が並び、南庭の南に承明門(じようめいもん)、さらにその南に建礼門がある
南面して建つ
入母屋造・神明造・寝殿造・素木造(しらきつくり)・檜皮葺(ひわだぶき)の建物
内部は、板敷きの広い空間で、天井を張らない化粧屋根裏、華美な装飾のない簡素な建物
東西約33m、南北約23m
正面九間の母屋の中央の北寄りには高御座が置かれている
中央の母屋の東西南北の四方に廂(ひさし)(庇)を設け、さらにその外側に高欄の設置された簀子がある
母屋と北廂の間には、賢聖障子(けんじようのそうじ)と称されるパネル状の押障子で仕切られている
南廂の中央には18段の階(南階)がある
<賢聖障子(けんじようのそうじ)>
高御座の背後(北側)、母屋と北廂の間に、はめ込まれる押障子
中国の聖賢や名相ら32人の肖像画が描かれている
<南庭>
紫宸殿の前庭
広い白砂の庭
18段の南階の東に桜、西に橘が植えられており、
それぞれの近くに左近衛と右近衛が配陣したため「左近の桜・右近の橘」と称される
<左近陣座(さこんのじんのざ)>
左近衛の陣所
南庭から宜陽殿に続く軒廊(こんろう)にある
摂関政治時代にには、ここで摂関を座長とする朝議が行われ、実質的な国政の中心となった
まれに、校書殿の東廂にある「右近陣座」でも行われた
<天子南面す>
古来中国においては、国の君主である天子は北を背に南を向いて人民を治めるとされる
これにならって、平安京も造営されている
<仁和寺>
金堂(こんどう)(国宝)>
1613年(皇紀2273)慶長18年に建立された紫宸殿を移築、改造された、桃山時代の寝殿造の遺構として貴重なもの
宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺きから瓦葺きに変えるなどの改造が行われているが、
宮殿建築の雰囲気がよく残されている
<宗像神社>
元左近の桜
1936年(皇紀2596)昭和11年に、紫宸殿の左近の桜を拝領したもの
<常照皇寺>
御車返しの桜
岩倉具視が、紫宸殿の「左近の桜」より株分けしたもの
後水尾天皇の名命
<二尊院>
本堂
紫宸殿を模していて外陣の廊下は鴬張りになっている
<三千院>
宸殿(しんでん)
白木造、紫宸殿の外観が模されている
<天龍寺>
多宝殿(たほうでん)
鎌倉時代頃の建築様式を用いて、後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿を模して建てられている