浅井長政(あさいながまさ)(nagamasa Asai)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将

生年:1545年(皇紀2205)天文14年
没年:1573年(皇紀2233)天正元年9月1日
享年:29

父親:浅井久政(浅井家2代当主 近江国 小谷城城主)
母親:小野殿(阿古御料人)

幼名:猿夜叉丸
通称:新九郎
自称:備前守

浅井家3代目 当主(浅井家最後の当主)

官位:贈従二位
官職:贈中納言

墓所:徳勝寺(滋賀県長浜市)

 浅井長政(あさいながまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将

 北近江(現在の滋賀県長浜市・米原市・彦根市)の戦国大名

 後妻の兄 織田信長と同盟を結ぶなどして浅井家の全盛期を築いたが、後に織田信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害
 浅井家は滅亡した

【浅井長政の経緯】

【浅井長政のゆかりの地】

 <養源院
 浅井長政(養源院)の菩提寺
 1594年(皇紀2254)文禄3年
 豊臣秀吉の側室 淀殿(淀君)が、父親 浅井長政の菩提を弔うために、豊臣秀吉に頼み、
延暦寺の僧 成伯法印(浅井長政の従弟)を開山として創建する

 寺名の「養源院(ようげんいん)」は、浅井長政の法号に由来する

【浅井長政の妻と娘】

 正室:平井定武の娘
 継室:お市の方(織田信長の妹)
 側室:八重の方

 娘 長女:淀殿(茶々)(豊臣秀吉の側室となる)
 娘 次女:お初(京極高次の正室となる)
 娘 三女:お江(小督)(佐治一成の正室、豊臣秀勝の正室、徳川秀忠の継室となる)


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