浅井長政(あさいながまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将
北近江(現在の滋賀県長浜市・米原市・彦根市)の戦国大名
後妻の兄 織田信長と同盟を結ぶなどして浅井家の全盛期を築いたが、後に織田信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害
浅井家は滅亡した
<養源院>
浅井長政(養源院)の菩提寺
1594年(皇紀2254)文禄3年
豊臣秀吉の側室 淀殿(淀君)が、父親 浅井長政の菩提を弔うために、豊臣秀吉に頼み、
延暦寺の僧 成伯法印(浅井長政の従弟)を開山として創建する
寺名の「養源院(ようげんいん)」は、浅井長政の法号に由来する
正室:平井定武の娘
継室:お市の方(織田信長の妹)
側室:八重の方
娘 長女:淀殿(茶々)(豊臣秀吉の側室となる)
娘 次女:お初(京極高次の正室となる)
娘 三女:お江(小督)(佐治一成の正室、豊臣秀勝の正室、徳川秀忠の継室となる)