足利尊氏(あしかがたかうじ)(Takauji Ashikaga)
鎌倉時代後期から
室町時代の武将
生年:1305年(皇紀1965)嘉元3年7月27日
没年:1358年(皇紀2018)正平13年/延文3年4月30日
享年:54
室町幕府初代 征夷大将軍
在職:1338年(皇紀1998)延元3年/暦応元年8月11日 - 1358年(皇紀2018)正平13年/延文3年4月30日
父親:足利貞氏(鎌倉幕府御家人)
次男
母親:上杉清子
幼名:又太郎
元服時:高氏(たかうじ)
自称:鎌倉殿
官位:(贈従一位)
官職:(贈左大臣・贈太政大臣)
日本三大謀反の一つ
生誕地:綾部市上杉荘(他説あり)
墓地:
等持院、長寿寺(鎌倉)
足利尊氏(あしかがたかうじ)は、鎌倉時代後期から室町時代の武将で、室町幕府の初代征夷大将軍
後醍醐天皇に叛旗を翻したことから「逆賊」とされ、時代祭における各時代が登場する時代行列に室町時代は排除されていた
【足利尊氏の経緯】
【足利尊氏のゆかりの地】
<足利尊氏邸・等持寺跡>
中京区高倉通御池上ル東側
<
等持院>
立命館大学の南側にある足利尊氏の菩提寺
<
天龍寺>
足利尊氏が、後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山に迎えて創建した禅寺
<
御所八幡宮>
八幡宮は源氏の鎮守の社とされ、足利尊氏によって
花の御所の守護神として勧請された
<
出雲大神宮>
本殿(重要文化財)は、足利尊氏によって改修されたといわれる
<
熊野若王子神社>
歴代の足利将軍に篤く信仰され、足利尊氏、
足利義政が、この地に花を愛で宴を開いたといわれる
<
若宮八幡宮社>
足利尊氏が病気にかかった際、病気平癒を祈願したところ完治したことから、本殿の脇にある霊石「蓬莱石(ほうらいせき)」など
珍宝七種や社領知行安堵状などが奉納された
<安国寺・子安延命地蔵>
綾部市安国寺町寺ノ段
足利尊氏の母親 上杉清子が、足利氏の男児相授を祈願し、7日目の満願の夜、星を呑む夢を見て懐妊したといわれる
<
勝竜寺城公園>
足利尊氏率いる北朝方の細川頼春が、南朝に対抗するために築城したもの
<
大報恩寺 千本釈迦堂>
足利尊氏の命で涅槃講が行われ、民衆の信仰を集めた
<
東寺>
食堂(じきどう)に、足利尊氏が居住したといわれる
東大門(重要文化財)は、新田義貞が攻め入るのを防ぐため、この門を閉めて難を逃れたことから、現在も閉められており、
「不開門(あかずのもん)」と称されている
<
宝厳院>
本尊の脇仏の
地蔵菩薩像は、足利尊氏が崇敬したといわれる
【その他】
<新千載和歌集>
二十一代集の18番目
足利尊氏の執奏により、1356年(皇紀2016)正平11年/延文元年6月に後光厳天皇が撰進を命じたもの
1359年(皇紀2019)正平14年/延文4年に撰進される
【京都検定 第2回3級】
【京都検定 第4回3級】
【京都検定 第6回3級】
【京都検定 第8回3級】
【京都検定 第10回3級】
【京都検定 第12回3級】
【京都検定 第13回3級】
【京都検定 第19回3級】
【京都検定 第23回3級】
【京都検定 第2回2級】
【京都検定 第3回2級】
【京都検定 第7回2級】
【京都検定 第9回2級】
【京都検定 第13回2級】
【京都検定 第16回2級】
【京都検定 第17回2級】
【京都検定 第21回2級】
【京都検定 第2回1級】
【京都検定 第9回1級】
【京都検定 第16回1級】
【京都検定 第17回1級】
【京都検定 第21回1級】