藤原高子(ふじわらのこうし)は、平安時代初期の清和天皇の皇太后
「伊勢物語」や「大和物語」では、在原業平との恋物語が残る
<和歌のサロン>
高子は、夫の清和上皇が院政を行っているとき、自邸を和歌のサロンにしていた
素性法師、文屋康秀、在原業平らが招かれ、歌が小倉百人一首に収められている
在原業平が、竜田川の紅葉を描いた屏風を見て詠んだ歌
「ちはやぶる神代もきかず龍田川 から紅に水くくるとは」(小倉百人一首17番・古今和歌集)
素性法師が、竜田川の紅葉を描いた屏風を見て詠んだ歌
「もみぢばの流れてとまるみなとには 紅深き浪や立つらむ」(古今和歌集)
文屋康秀
「春の日の 光に当たる 我なれど かしらの雪と なるぞわびしき」(古今和歌集)
<五十の賀>
高子は、息子 陽成天皇が光孝天皇に譲位した後、二条院に移り住み、「二条后」と称されるようになる
そこで、自ら長寿の祝いを行う
藤原興風らが招かれている
「いたづらにすぐる月日は思ほえで 花みてくらす春ぞすくなき」(古今和歌集)
<伊勢物語>
平城天皇の孫の在原業平
清和天皇の皇后候補だった藤原高子
在原業平は、高子が住んでいた伯母にあたる皇太后明子の屋敷に、高子に会いに通う
高子を皇后にしたい同母兄の藤原基経や藤原国経は、皇太后の屋敷の警備を厳しくする
高子と会えなくなった在原業平は、高子を連れ出して、朽ちた倉にかくまう
が、高子は、藤原基経らに連れ戻され、清和天皇の妃となる
その後、在原業平は、十輪寺に隠棲して、高子を想いつつ塩釜で塩を焼いたといわれる
<大和物語>
貴族社会の和歌を中心としたオムニバス的な歌物語
百六十一段「小塩の山」には、二条后のことを想う在原業平の歌が紹介されている
<業平の塩竈>
十輪寺に隠棲していた歌人 在原業平が、
かつての恋人であった清和天皇の女御となった二条后が大原野神社に参詣した時にお供し、
「大原や小塩の山もけふこそは 神代のことも思い出づらめ」との和歌を詠った
また、塩竈を焼き紫の煙を立ちのぼらせて彼の想いを彼女に送ったといわれ、二条后も、その紫の煙を見て、
悲しみの涙にくれたといわれる