藤原基経(ふじわらのもとつね)は、平安時代初期の公卿、史上最初の関白に任じられる
摂政であった叔父 藤原良房の養子となり、清和天皇・陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の4代にわたり朝廷の実権を握った
藤原北家 藤原摂関家の隆盛の基礎を作り上げた
<許波多神社>
境内に宇治陵中36号墳墓があり、藤原基経のお墓といわれている
元は、深草極楽寺跡の香神塚だとされるが、藤原道長が木幡に浄妙寺を建立したときに改葬されたといわれる
<北野天満宮 摂社 火之御子社(ひのみこしゃ)>
祭神:火雷神(からいしん)
北野天満宮の創建以前の元慶年間(877年〜885年)頃
太政大臣 藤原基経が、五穀豊穣を祈願するために、北野雷公(きたのらいこう)を祀ったといわれる
<八坂神社 本殿(重要文化財)>
藤原基経が建立した観慶寺感神院の本殿が由来
<宝塔寺>
関白 藤原基経が創建した真言宗極楽寺が由来
藤原基経の死後、長男 藤原時平により完成される
<堀河天皇里内裏跡>
堀河院(堀川殿)は、平安京左京三条二坊九町から十町にかけてあった関白 藤原基経が造営した大邸宅
(現在の二条通と堀川通によって画された東西120m、南北250m程)
<九条邸跡>
九条にあった、藤原基経が創建したといわれる九条殿に住んでいたことが家名の由来となる
<「日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)」>
文徳天皇の代の850年(皇紀1510)嘉祥3年から858年(皇紀1518)天安2年までの8年間が記された歴史書
六国史の第五にあたる
871年(皇紀1531)貞観13年
清和天皇が、藤原基経、都良香、南淵年名、大江音人らに編纂を命じた
879年(皇紀1539)元慶3年に成立する
<長岡京ガラシャ祭>
長岡京ゆかりの人物による細川ガラシャの玉の輿入れを祝う行列に藤原基経も登場する