藤原時平(ふじわらのときひら)は、平安時代中期の公卿
藤氏長者で政治手腕にも優れており左大臣となったが、ライバルの右大臣 菅原道真を讒言により左遷させ(昌泰の変)
菅原道真の祟りに悩まされ早死にする
<延喜式>
醍醐天皇の勅命により、藤原時平らが編纂を始める
藤原時平の死去後は、弟の藤原忠平に引き継がれ完成される
<日本三代実録>
六国史の第六にあたる歴史書、全50巻
清和天皇・陽成天皇・光孝天皇の3代である858年(皇紀1518)天安2年8月から887年(皇紀1547)仁和3年8月までの30年間を扱う
宇多天皇の勅命により、源能有・藤原時平・菅原道真・大蔵善行・三統理平により編纂される
<著書「時平草子」>
<著書「外記蕃記(げきばんき)」>
<折上稲荷神社>
藤原時平が、社殿を修造したといわれる
<宝塔寺>
父親 藤原基経が創建した真言宗極楽寺が由来で
藤原基経の死後、藤原時平により完成される
<官奏執奏特権>
天皇に奏上すべき公文書を内見し政務を代行する特別な職務
宇多天皇は、醍醐天皇に譲位されたが、菅原道真を引き続き重用するよう強く醍醐天皇に求め、
藤原時平と菅原道真にのみ官奏執奏の特権を与えた
<昌泰の変>
藤原時平は、ライバルでもある右大臣 菅原道真が、醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀っていると
讒言(ざんげん)する
菅原道真は、大宰権帥(だざいのごんのそち)として九州 大宰府に左遷される
さらに、菅原道真の子息と、宇多上皇の近臣らも流罪となる
三善清行は、藤原時平に対して、菅原道真の関係者を全て連座させると、朝廷が機能停止に陥ることを指摘して、
処分を菅原道真の親族と宇多上皇側近のみに留めてさせたといわれる
菅原道真は、左遷先の大宰府で濡れ衣が晴れぬまま死去したことにより、後々菅原道真の祟りの噂を生む
藤原時平が政務を行っていた内裏清涼殿には落雷があり、複数の死傷者を出した
<歴史物語「大鏡」>
「あさましき悪事を申し行ひ給へりし罪により、この大臣の御末はおはせぬなり。
さるは、大和魂などは、いみじくおはしましたるものを。」
藤原時平が、醍醐天皇に、菅原道真の讒言を訴えた罪により、左大臣 藤原時平の子孫は栄えなく早死にされた
藤原時平の政治手腕などは、とても優れていたのに
と記されている
<浄蔵貴所>
加持祈祷に優れた僧侶
「扶桑略記」によると
藤原時平が急病にかかり床に伏せ、三善清行の八男 僧の浄蔵貴所が、菅原道真の怨霊を取り除く加持祈祷を行う
その時、藤原時平の耳から龍の姿をした菅原道真の怨霊が出てきて、
三善清行に、加持祈祷を止めさせるように迫ったという
三善清行が浄蔵貴所に祈祷を止めさせると、藤原時平の病態が急変し息をひきとったといわれる
<石見神楽の演目「天神(てんじん)」>
平安時代、右大臣 菅原道真は、左大臣 藤原時平に謀られ太宰府に左遷されてしまう
その無念を晴らすために雷神となって、天から雷を降らし、悪しき心のため悪鬼になった藤原時平を討ち取る
神楽では、面を付けた菅原道真と藤原時平と戦うように創作されている
登場人物
菅原道真(天神)・随身 拆雷(さくいかづち)・藤原時平