藤原頼通(ふじわらのよりみち)(Fujiwara Yorimichi)

藤原頼通(ふじわらのよりみち)は、平安時代後期の公卿

生年:992年(皇紀1652)正暦3年
没年:1074年(皇紀1734)承保元年2月2日
享年:83

父親:太政大臣 藤原道長
母親:左大臣 源雅信の娘の倫子

官位:従一位・摂政・関白・太政大臣・准三宮

幼名:田鶴
通称:宇治殿
法名:蓮花覚、後に寂覚

 藤原頼通(ふじわらのよりみち)は、平安時代後期の公卿

 後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の3代の天皇の摂政・関白を行い、
 父親 藤原道長とともに50年以上摂政を続け、藤原氏全盛時代を築いた

 末法思想の元年にあたり、別荘「宇治殿」を寺院にして、平等院鳳凰堂を建立し浄土庭園を作り上げる

【藤原頼通の歴史・経緯】


【歌人】

 藤原頼通は、文化的にも指導的地位にあったといわれる

 1035年(皇紀1695)長元8年
 関白左大臣頼通歌合を開催する

 「後拾遺和歌集」に1首
 以下の勅撰和歌集に14首が入首している

【藤原頼通の子女】

 正妻:隆姫女王(村上天皇の第七皇子 具平親王の娘)
   養女:藤原げん子(敦康親王の娘) 後朱雀天皇の中宮となる

 妾:藤原永頼の四女

 妾:対の君(源憲定の娘)
   長男:藤原通房

 妾:藤原祇子(藤原頼成の娘)
   次男:橘俊綱  橘俊遠の養子となる
   三男:覚円
   四男:藤原定綱 藤原経家の養子となる
   五男:藤原忠綱 藤原信家の養子となる
   長女:藤原寛子 後冷泉天皇の皇后となる
   六男:藤原師実

【藤原頼通のゆかりの地】

 <平等院
 1052年(皇紀1712)永承7年
 末法思想の元年にあたり、父親 藤原道長から相続した宇治の別荘「宇治殿」を寺院にする

 <縣神社
 1052年(皇紀1712)永承7年
 平等院を創建したときの総鎮守社とされる

 <宇治神社
 1052年(皇紀1712)永承7年
 平等院の創建にあたり、鎮守社とされる

 <法成寺
 藤原頼通により再建され、藤原師実に引き継がれる

 <東三条殿跡
 藤原氏の邸宅

 <白河院
 摂政 藤原良房の平安京の域外に営まれた別荘で、藤原北家によって代々受け継がれ、
 藤原道長・藤原頼通など、北家藤原氏によって代々受け継がれる

【その他】

 <関白忌>
 藤原頼通を偲ぶ忌日法要
 3月2日、平等院にて


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