藤原頼通(ふじわらのよりみち)は、平安時代後期の公卿
後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の3代の天皇の摂政・関白を行い、
父親 藤原道長とともに50年以上摂政を続け、藤原氏全盛時代を築いた
末法思想の元年にあたり、別荘「宇治殿」を寺院にして、平等院鳳凰堂を建立し浄土庭園を作り上げる
藤原頼通は、文化的にも指導的地位にあったといわれる
1035年(皇紀1695)長元8年
関白左大臣頼通歌合を開催する
「後拾遺和歌集」に1首
以下の勅撰和歌集に14首が入首している
正妻:隆姫女王(村上天皇の第七皇子 具平親王の娘)
養女:藤原げん子(敦康親王の娘) 後朱雀天皇の中宮となる
妾:藤原永頼の四女
妾:対の君(源憲定の娘)
長男:藤原通房
妾:藤原祇子(藤原頼成の娘)
次男:橘俊綱 橘俊遠の養子となる
三男:覚円
四男:藤原定綱 藤原経家の養子となる
五男:藤原忠綱 藤原信家の養子となる
長女:藤原寛子 後冷泉天皇の皇后となる
六男:藤原師実
<平等院>
1052年(皇紀1712)永承7年
末法思想の元年にあたり、父親 藤原道長から相続した宇治の別荘「宇治殿」を寺院にする
<縣神社>
1052年(皇紀1712)永承7年
平等院を創建したときの総鎮守社とされる
<宇治神社>
1052年(皇紀1712)永承7年
平等院の創建にあたり、鎮守社とされる
<法成寺>
藤原頼通により再建され、藤原師実に引き継がれる
<東三条殿跡>
藤原氏の邸宅
<白河院>
摂政 藤原良房の平安京の域外に営まれた別荘で、藤原北家によって代々受け継がれ、
藤原道長・藤原頼通など、北家藤原氏によって代々受け継がれる
<関白忌>
藤原頼通を偲ぶ忌日法要
3月2日、平等院にて