古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)(Syuntarou Furutaka)

幕末維新の攘夷派の志士

生年:1829年(皇紀2489)文政12年4月6日
没年:1864年(皇紀2524)元治元年7月20日
享年:36

諱:正順(まさより)
号:枡屋喜右衛門
変名:湯浅喜右衛門

出身:近江国栗太郡古高村(現在の滋賀県守山市)
墓地:福寿院(守山市古高町)、福勝寺高台寺霊山墓地

 古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)は、幕末維新の攘夷派の志士

 諸藩御用達の古道具屋「枡屋」を営み、攘夷派の情報活動と武器調達にあたった

 新選組に捕らえられ、池田屋騒動の引き金となる

【古高俊太郎の経緯】

【古高俊太郎ゆかりの地】

 <竹林寺
 古高俊太郎や勤皇志士8名が祀られている

 <古高俊太郎邸跡
 古高俊太郎が潜伏していた邸跡で、枡屋事件が起こったところ

【その他】

 <枡屋事件
 桝屋に新選組に踏み込まれ逮捕される
 2階から逆さ吊りにされ、足の甲から五寸釘を打たれ、貫通した足の裏の釘に百目蝋燭を立てられ火をつけられるなど
新選組から過酷な拷問を受けたといわれる

 <池田屋騒動
 池田屋で古高俊太郎の奪還の会合のために潜伏していた長州藩の尊皇攘夷過激派を、新選組が襲撃し、
多数の死傷者と逮捕者を出した事件


 <攘夷活動計画>
 八月十八日の政変の後、
 京を追われた長州藩出身者らが、祇園祭の前の強風の日を選んで御所に火を放ち、
佐幕派公卿の中川宮朝彦親王(後の久邇宮朝彦親王)を幽閉し、徳川慶喜京都守護職松平容保など佐幕派大名を殺害し、
孝明天皇を長州へ連れ去るというものであった
 計画実行の志士が多数上洛、潜伏していたが池田屋騒動により阻止される


【京都検定 第11回1級】

[インデックス]


京都通メンバページ


[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク