祇園女御(ぎおんのにょうご)

平安時代後期の官女

生年:不明
没年:不明
享年:不明

父親:不詳
母親:不詳

名前:不詳
通称:祇園女御(ぎおんのにょうご)、白河殿

白河法皇の寵妃

 祇園女御(ぎおんのにょうご)は、平安時代後期の官女

 白河法皇の晩年の寵妃

 平忠盛の生母で、祇園女御の後押しで出世したといわれる

【祇園女御の歴史・経緯】

【祇園女御】

 生年不詳・出身も不詳

 <白河法皇の寵妃>
 官女として白河院で仕えていたところ、治天の君 白河法皇に見いだされ寵愛される
 女御宣旨は受けていない


 <「祇園女御」「白河殿」>
 祇園社の東南に、堀河天皇御願寺として、尊勝寺 阿弥陀堂を建立
 金銀珠玉で飾り立てて、そこに住んだことから「祇園女御」「白河殿」とも称される


 <平清盛の生母
 「平家物語」の語り本系の諸本によると
 白河法皇の寵愛を受けて懐妊した祇園女御は、平忠盛の妻となり、平清盛が生まれたといわれる

 他書では、
 平忠盛の生母は祇園女御の妹で、平忠盛が3歳の時に死去したことから祇園女御の養子になったといわれる


 <仏舎利>
 白河法皇の遺産として、仏舎利(釈迦の遺骨)が2千粒ほどあったといわれる

【祇園女御ゆかりの地】

 <祇園女御塚
 円山公園の南にあった祇園女御のお墓
 現在は、祇園堂の門前に祇園女御供養塔が立てられている


 <祇園堂
 祇園女御の願いで建立された、堀河天皇勅願寺 尊勝寺 阿弥陀堂の跡
 阿弥陀堂に祇園女御が住んでいたといわれる


 <厳島神社
 宗像三女神と共に祀られている


 <忠盛燈籠
 白河法皇が、祇園女御に会うために通った祇園社にある
 白河法皇が怪物と見間違え平忠盛に退治を命じたといわれる

【その他】

 <浄瑠璃「祇園女御九重錦 (ここのえにしき) 」>
 初演:1761年(皇紀2421)宝暦11年1月
 平物(ひらもの)
 三十三間堂の縁起や平忠盛のことなどが脚色され、祇園女御も登場する


【京都検定 第19回1級】

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