秦伊呂具(はたのいろぐ)は、古墳時代に朝鮮半島から帰化した豪族 秦氏の子孫の一人
稲荷山の三カ峰に三柱を創祀したのが伏見稲荷大社の起源となる
<伏見稲荷大社>
秦伊呂具が、稲荷山の三カ峰(みつかみね)に三柱を創祀したのが由来
「山城国風土記」逸文によれば、
秦伊呂具が、稲を積むほどの富裕な生活をしており、餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、
そこに稲が生え、「伊禰奈利(いねなり)」と称される神社になったといわれる
「山城国風土記」逸文、伊奈利の社
伊呂具の秦公、稲梁を積みて富裕を有ちき
すなはち、餅を的と為ししかば、白鳥と化成りて、飛び翔りて山の峰に居り、稲なり生ひき
遂に社の名と為しき
その苗裔(はっこ)に至り、先の過を悔いて、社の木を抜にして家に植ゑてのみ祭き
今その木を殖ゑて蘇きば福を得、その木を殖ゑて枯れば福あらじとす
<畑菜の辛子和え>
2月の初午(はつうま)の日の初午の稲荷詣
秦氏を偲び、畑菜の辛子和えを食べて、伏見稲荷大社へ参拝する
畑菜は、「秦伊呂具」の名前からとられたもので、
伏見稲荷大社に仕える狐の好物の辛子を利かせて食べると縁起がいいといわれる
<松尾大社>
701年(皇紀1361)大宝元年
遠祖の秦忌寸都理(はたのいみきとり)が、松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請して社殿を造営した