秦氏(はたし)は、5世紀頃に、京都西部の桂川流域と東部の深草の鴨川流域に移住してきた帰化朝鮮人(渡来人)の巨大氏族
秦氏は、葛野川(かどのがわ)(現在の桂川)流域に移住し、
持ち前の優れた先進的な土木技術を駆使して、葛野一帯を田園地域に変えたといわれる
養蚕(ようさん)や機織(はたおり)技術を発達させ、
うずたかく絹を積んで朝廷に献上したという産業地帯を生み、その地域は「太秦」と称されるようになる
<太秦>
秦氏が、養蚕(ようさん)や機織(はたおり)技術を発達させた産業地帯
絹をうずたかく積んで朝廷に献上したことから「うずまさ」と称されるようになった
<松尾大社(式内社・明神二十二社上七社)>
701年(皇紀1361)大宝元年
秦忌寸都理(はたのいみきとり)が、松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請して社殿を造営した
<伏見稲荷大社(式内社・明神二十二社上七社)>
711年(皇紀1371)和銅4年
秦伊呂具が、稲荷山の三カ峰(みつかみね)に三柱を創祀したのが由来
「山城国風土記」逸文によれば、
秦伊呂具が、餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、
そこに稲が生えたので「伊禰奈利(いねなり)」と称され社名になったといわれる
2月の初午(はつうま)の日には
秦氏を偲び、畑菜の辛子和えを食べて、伏見稲荷大社へ参拝する(初午の稲荷詣)
畑菜は、「秦伊呂具」の名前からとられたもので、
稲荷大社に仕える狐の好物の辛子を利かせて食べると縁起がいいといわれる
<蚕の社(式内社名神大社)>
正式名称:木嶋坐天照御魂神社
京都三珍鳥居の一つ「三柱鳥居」がある
太秦の地を納めていた秦氏が、水の神・結びの神さんを祀ったのが由来といわれる
<城南宮 境内神社 真幡木神社(式内社)>
平安京遷都以前のこの鳥羽の地の有力者 秦氏の氏神といわれる
<綺原神社(式内社)>
現在の木津川市の綺田(かばた)の地の氏族 綺氏(かばし)は、機織・養蚕技術をもたらした渡来系豪族 秦氏の先祖ともいわれ、
神さんに献ずる衣服を織る技術者や養蚕技術者を祀ったといわれる
<桑田神社(式内社)>
亀岡市の保津川を見下す景勝の地にあり、古代集落の形成に適し、亀岡盆地の入口に当り、政治的にも重要な地とされ、
秦氏の勢力が、いち早く治めた地といわれる
<半木神社>
賀茂氏と秦氏により、織物業の守護神として、阿波国から養蚕の神 天太玉命を勧請して創建される
西陣織の神さんとされる
<小川月神社(式内社)>
秦忌寸都理が創建した松尾大社から、秦氏によって、桂川をさかのぼるように開発が進められ、それにともなって創建されたといわれる
<大井神社(式内社論社)>
秦氏が、桂川に葛野大堰(かどのおおい)を築き、当地を開拓したときに治水神として祀ったのが由来といわれる
<磐栄稲荷神社>
秦氏の本拠地の一つ神奈備山(現在の亀岡市西山)の鏡岩に、日本最初の稲荷神が祀られ創建される
<広隆寺>
平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院といわれる
秦河勝が、聖徳太子から譲り受けた仏像を祀った「蜂岡寺(はちおかでら)」を建てたのが由来
秦氏の氏寺
<放生院>
秦河勝が、聖徳太子の発願により創建する
<蟹満寺>
秦河勝の弟 秦和賀によって、木津川の支流沿いに創建された
<妙蓮寺>
松尾社一切経(重要文化財)
3,545巻の巻子本の写経が、38余の経箱に収められていた
松尾大社の神主の秦氏一族によって発願され、松尾大社の別当寺において書写されたもの
<金剛寺 八坂庚申堂>
秦河勝が、本尊 青面金剛を、秦氏の守り本尊として中国から招来する
<蛇塚古墳>
秦氏一族の首長墓と推定される京都府で最大の石室
<功満王(こうまんおう)>
秦の始皇帝の子孫で、秦氏の祖とされる
<弓月王(ゆづきのきみ)>
功満王の子
<秦酒公(はたさけのきみ)>
弓月王の孫
<秦大津父(はたおおつち)>
<秦河勝>
聖徳太子に仕え、太秦に蜂岡寺(広隆寺)を創建した
<秦忌寸都理(はたのいみきとり)>
松尾大社を創建
<秦伊呂具>
伏見稲荷大社を創建
<秦久麻>
天寿国繍帳(中宮寺)の製作者
<道昌>
秦氏の出身で、弘法大師空海の高弟
嵐山の渡月橋を架け、法輪寺を創建した