秦河勝(はたのかわかつ)は、奈良時代に大和王権で活躍した秦氏出身の豪族
朝鮮半島から渡来した渡来人集団 秦氏の族長的人物
聖徳太子のブレーンとして活躍した
富裕な商人で、朝廷の財政に関わっていたといわれ、その財力により平安京の造成にも関わったといわれる
<広隆寺>
秦河勝が、聖徳太子から弥勒菩薩半跏思惟像(国宝1号)を賜り、蜂岡寺を造営したのが由来
「広隆寺由来記」によると、「広隆」は秦河勝の実名とされる
<放生院>
聖徳太子の発願により、秦河勝が創建したといわれる
<川勝寺>
右京区西京極にあり、かつての川勝寺村で、住民の多くは秦河勝の子孫とされる
近隣には「秦河勝終焉之地」の碑がある
<内裏>
紫宸殿の前の右近の橘(うこんのたちばな)は、秦河勝の邸宅にあったとわれる
平安京遷都以前から、いい土地を所有していたといわれる
<松尾神社>
秦河勝が、聖徳太子の命により創祀したことが由来とされる
<風姿花伝>
世阿弥が著した能の理論書
それによると、聖徳太子が、秦河勝に命じて、諸人快楽(しょにんけらく)のために六十六番の遊宴を行い、
これを「申楽」と名付けた
その後、秦河勝の子孫がこの芸を継いで、春日神社と日吉神社の神職となってこれを守っている
と、記されている
<金春家>
秦河勝を猿楽の祖として、秦河勝の末裔といわれている