土方歳三(ひじかた としぞう)は、幕末維新の志士
近藤勇が指導する天然理心流試衛館に入門
新選組では、局長 近藤勇の右腕の副長を務め「鬼の副長」と称される
鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に負け、江戸・会津と敗走し、
函館五稜郭を本拠地とする「蝦夷島政府」では、陸軍奉行並として指揮するが、新政府軍に撃たれ戦死する
<壬生寺>
新選組の隊士たちが武芸の訓練などを行ったところ
2023年(皇紀2683)令和5年7月16日
新選組結成160年を記念して、クラウドファンディングにより、和服姿のりりしい顔立ちの土方歳三の胸像が設置された
土方像本体:高さ75cm x 横幅75cm:ブロンズ
石台座:高さ125cm x 底面幅00cm x 奥行55cm:御影石
全高:200cm、重さ:約1トン
<八木邸>
新選組の最初の駐屯地
八木邸の奥座敷にて、近藤勇・土方歳三ら試衛館派が、芹澤鴨・平山五郎ら水戸派4人を斬殺し、
近藤勇が隊長となり、新選組組織が整備された
<旧前川邸>
八木邸とともに新選組の最初の駐屯地
土方歳三は、前川邸の蔵で攘夷派の炭薪・小道具商 古高俊太郎を逆さに吊りにして激しい拷問を行い、暗殺計画を自白させた
その暗殺を阻止するために、新選組により池田屋騒動となった
戦闘後に会津藩、桑名藩が到着するが、手柄を横取りされぬように、土方歳三は一歩たりとも近づけさせなかったといわれる
<新選組洛中最後の屋敷跡>
西本願寺を屯所としていた新選組が将軍 徳川慶喜の直属の軍隊となり、建立された新屋敷の跡地とされる
<武具>
和泉守兼定(刃長2尺8寸)、堀川国広(刃長1尺9寸5分)のの刀を用いていたといわれる
真紅の面紐に朱塗りの皮胴など洒落た防具を用いていたといわれる