細川勝元(ほそかわかつもと)は室町時代の武将・守護大名
足利氏の支流で三管領の一つである細川家宗家・京兆家の当主
3度、管領となり、山名宗全(山名持豊)と対立となり、応仁の乱では東軍の総大将、終結前に死去する
禅宗を信仰し、龍安寺や竜興寺(南丹市八木町)を建立し、鯉料理などにも精通していたといわれる
<細川家>
足利家の支流で、初代 義季が、三河国額田郡細川郷(現在の岡崎市)に住んだことから地名を氏とした
6代 細川頼春は、足利尊氏の側近となり阿波・備後の守護に任命された
以後、阿波・讃岐・摂津・丹波など畿内周辺と四国など、7〜8ヶ国の守護職となり、室町幕府の三管領の筆頭となる
<細川四天王>
応仁の乱で細川勝元の下で活躍した4人の重臣
香川景明(元明)・香西元資・奈良元安・安富盛長
<医書「霊蘭集」>
医術の研究をしていた
<文化人>
和歌・絵画などにも優れていたといわれる
鷹狩、犬追物などにも多才であったといわれる
<龍安寺>
1450年(皇紀2110)宝徳2年
細川勝元が、衣笠山山麓の藤原北家の流れをくむ徳大寺家の山荘を譲り受けて禅寺を創建する
妙心寺の第五代住持の義天玄承(ぎてんげんしょう)招き開山する
<竜興寺(南丹市八木町)>
細川勝元の創建
<悲田院>
1473年(皇紀2133)文明5年5月
細川勝元が亡くなり地蔵堂で葬礼が行われる