細川幽斎(ほそかわゆうさい)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての戦国武将、文化人
鎌倉時代から続く細川家の庶流で、肥後細川家の祖
二条流の歌道伝承者 三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた
剣術、弓、、遊泳、歌道、茶道、蹴鞠、囲碁、料理、猿楽、有職故実など戦国では随一といえる文武両道
<剣術>
塚原卜伝に学ぶ
<弓術>
波々伯部貞弘・吉田雪荷から印可を受ける
弓馬故実(武田流)を武田信豊から相伝される
<歌道>
一子相伝の秘事であった三条西家に代々伝わる古今伝授を、三条西実枝から受け、二条派正統を継承する
「たとえ細川家の嫡男の一人といえども、絶対に他人には伝授しないこと、
三条西家に、もし相伝が断絶するようなことがあれば、責任をもって伝え返すこと」などを誓わされたという
幽斎が、丹後田辺城で大軍に包囲され籠城戦となったとき、
幽斎が戦死して古今和歌集の秘奥が断絶するのを憂えた後陽成天皇は、勅使を遣わし助けたといわれる
門人には、八条宮智仁親王、公家の中院通勝、烏丸光広などがおり、
松永貞徳、木下長嘯子、島津義久らも幽斎から指導を受けた
その後、古今伝授は、三条西実枝の孫 三条西実条に伝えられる
<古今若衆序>
<衆妙集>
後人の編纂になる家集
<詠歌大概抄>
<古今和歌集聞書>
<百人一首抄>
<伊勢物語闕疑抄>
<九州道の記>
<東国陣道の記>
<天授庵>
南禅寺の塔頭
幽斎の援助を得て、細川家の菩提所として再建される
幽斎のお墓がある
本堂前庭は、幽斎の設計といわれる
<高桐院>
大徳寺の塔頭
幽斎の菩提所として、息子 細川忠興により建立された
<勝持寺>
大原野千句連歌懐紙(重要文化財)
1571年(皇紀2231)元亀2年の連歌会(大原野千句連歌)のとき記された、細川幽斎筆の懐紙が所蔵されている
<熊本泰勝寺>
細川家菩提寺