稲葉正邦(いなばまさくに)は、 江戸時代幕末の大名・老中・京都所司代
山城国淀藩12代目で最後の藩主
京都所司代に任じられ、京都の政務を一任され、京都守護職 松平容保と共に尊攘激派の取り締まりに当たる
老中となり、鳥羽・伏見の戦いでは、江戸で将軍の留守を守っていたが、
淀城では、敗北した幕府軍が退却してきたときに、錦旗を掲げて城門を閉ざして受け入れを拒否した
<著書「妖幻夜話」>
<著書「東閣遺草」>
<「淀稲葉家文書」>
老中在職中の正邦の書簡や意見書などをまとめたもの
幕末の政局を知る史料とされる
<淀藩>
1723年(皇紀2383)享保8年
稲葉正知が佐倉城から移封となり、以降12代続く
稲葉氏は、三代将軍 徳川家光の乳母として権勢を誇った春日局の家系
<神道大教>
宮中三殿奉斎の神霊をまつり「三条教則」を教憲として
「惟神(かんながら)の大道」を拡張し神道を宣教することを目的とされる
稲葉正邦を管長にして神道本局を組織する