板倉勝重(いたくらかつしげ)は、江戸時代前期の大名・初代京都所司代
優れた手腕と柔軟な判断で多くの事件、訴訟を裁定し、判例集「板倉政要」も記される名奉行とされた
<二条城>
徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けるのに際して、上洛時の宿所として二条城の築城を決め、
板倉勝重が、造営総奉行になる
翌 慶長8年3月に落成する
<長圓寺>
1608年(皇紀2268)慶長13年
板倉勝重が、清巌大和尚に帰依し、約800坪の土地を寄進する
板倉勝重の死後、法諱(ほうき)「長圓院」にちなんで、「長圓寺」と号される
<高台寺>
1604年(皇紀2264)慶長9年
ねねが、豊臣秀吉の菩提を弔うため「高台寺」を造営し始める
徳川家康は、政治的配慮からの多大な財政的援助を行い協力したといわれ、
酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛に、京都所司代 板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じる
<板倉政要>
板倉勝重と、息子 板倉重宗の判例集
優れた手腕で名奉行といわれる善政を行った、柔軟な裁定や逸話が残された