伊東甲子太郎(いとうかしたろう)は、幕末維新の時代の尊王攘夷派の活動家
王政復古・大開国論を主張した
新選組 参謀 兼 文学師範となり、後に、御陵衛士(高台寺党)を結成し、新選組に暗殺された
水戸学・国学・儒学を修めており、学識・教養ともに深かったとされる
目元が涼しく、背が高くてすらりとしている容姿端麗で巧みな弁舌から人望は高かったといわれる
<新選組>
参謀 兼 文学師範に任じられる
攘夷という点で結ばれていたが、佐幕派の新選組と、勤王・倒幕を主張する方針をめぐり、すれ違っていた
<建白書>
新選組から分離後に、4通の建白書を朝廷に提出している
大政奉還の行われた直後の3通目の建白書では、
公家を中心に新政府を作り、畿内5ヶ国を新政府の直轄領とすること、長州藩への寛典論、
富国強兵のための一和同心を訴え広く天下から人材を求め国民皆兵とするなど、「大開国論」を主張した
<油小路事件>
1867年(皇紀2527)慶応3年11月18日
伊東は近藤勇に呼ばれ、妾宅にて接待を受ける
酔わされた伊東は、帰宅途中の七条油小路通の本光寺門前にて、
待ち伏せをしていた新選組隊士の大石鍬次郎・横倉甚五郎・宮川信吉・岸嶋芳太郎の4名により暗殺された
伊東は「奸賊ばら」と叫んで絶命したといわれる
伊東の遺体は、路上に放置され、御陵衛士を誘い出す囮として使われ、
後に収容に来た7名の御陵衛士たちは待ち伏せていた新選組と戦闘となった
<恋の和歌>
島原の花香太夫を詠んだものといわれる
「兼てよりあすある身とも思はねはいかてちきりを結ひ留むへき」
「おのれのみ深くも思ひそめにけりうつろいやすき花の色香そ」
「逢ふまてとせめて命のをしけれは恋こそ人の命なりけり」