荷田春満(かだのあずままろ)は、江戸時代中期の国学者・歌人
伏見稲荷大社の社家で正官五職の一つ御殿預職の家に生まれる
国学の四大人(しうし)(賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤)の筆頭
江戸時代中期の国学者・歌人
契沖(けいちゅう)の「万葉代匠記」など万葉学を学び、
国史・律令・古文・伝記・万葉集・古事記・日本書紀・大嘗会の研究の基礎をつくり有職故実に優れ、復古神道を提唱した
「荷田学」と称される
国学の四大人(しうし)(賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤)の筆頭
<主な著書>
「万葉集僻案抄」「万葉集童子問」「伊勢物語童子問」「日本書紀訓釈」「創学校啓」など
著作としてまとめる前に病気で倒れ、多く稿本が残る
<家集>
「春葉集」
<弟子>
国学者・歌人の賀茂真淵など
孫弟子には、国学者・文献学者・医師の本居宣長、国学者・神道家・医者の平田篤胤がいる
門人により体系化されて、幕末の尊攘思想の根拠になった
<東丸神社>
荷田春満が祀られている
伏見稲荷大社に隣接する
学問の神さん
<荷田春満旧宅>
伏見稲荷大社の東丸神社の前にある
<国学発祥の地>
東京 神田神社の境内にある
春満が江戸に出て、初めて国学の教場を開いた場所とされる
碑は、作家 今東光の撰による
<「荷田全集」全7巻>
1928年(皇紀2588)昭和3年から1932年(皇紀2592)昭和7年にかけて刊行された
官幣大社稲荷神社編により吉川弘文館が発行