金売吉次(かねうりきちじ)は、平安時代末期の商人
「平治物語」「平家物語」「義経記」「源平盛衰記」などに登場する伝説的な人物
陸奥国奥州で産出される金を京で売る商売をしていたとされる
源義経が奥州藤原氏当主 藤原秀衡を頼って奥州平泉に下るのを手助けしたといわれる
源義経が奥州への旅立ちの無事を祈願した首途八幡宮は、金売吉次の京での住居跡といわれる
「平治物語」では「奥州の金商人吉次」
「平家物語」では「三条の橘次という金商人」
「源平盛衰記」では「五条の橘次末春という金商人」
「義経記」では「三条の大福長者の吉次信高」
源義経に従った堀景光が、金売吉次であるともいわれる
<首途八幡宮>
金売吉次の京都での邸宅跡といわれる
源義経が元服する前の牛若のとき、ここで無事を祈願して金売吉次と奥州に旅立ったとされることから
「首途(かどで)」と名が付いたといわれる
境内には、「橘次井(きちじい)」と称される井戸があり、この水をくんで旅に出れば、御利益があるといわれる
源義経は、平家追討に行くときにも、この水で身を清めて旅だったといわれる
<革籠原>
行商の途中、強盗藤沢太郎入道に襲われ殺害されたといわれ、
そのとき、革籠を奪われたことに由来し、付近は革籠原と称された
<八幡神社(福島県白河市白坂皮籠)>
金売吉次兄弟のものといわれるお墓がある
<栃木県壬生町稲葉>
吉次のお墓がある
源義経が源頼朝と不仲になり奥州へ逃亡する際に吉次が同行し、当地で病死したといわれる
<金田八幡神社(宮城県北部金成町)>
金売吉次の居館跡といわれる
この地を「東館(とうだて)」と称され、奥州街道を東に入ったところにある小高なった山城となっている
<長者原廃寺(衣川村)>
平泉町から衣川を隔てた衣川村にある
金売吉次の屋敷跡といわれる
1958年(皇紀2618)昭和33年に発掘調査が行われ、その出土遺物から 平安時代後期の寺院跡とされる