桂昌院(けいしょういん)は、徳川家光の息子 徳川綱吉(江戸幕府5代将軍)の生母
徳川家光の死後は、出家して、大奥で権勢をふるった
京都において、善峯寺や乙訓寺など、応仁の乱で荒廃した寺院の復興事業や寺院建立など、仏教遺産に大きく寄与をした
<智積院>
金堂を建立
<南禅院>
中興の祖
<乙訓寺>
再興する
<勝持寺>
帰依を受ける
<善峯寺>
再興する
<金蔵寺>
再建される
<清凉寺>
再興する
<西明寺>
本堂が再建される
<真如堂>
宮殿の建立
<生類憐みの令>
息子 徳川綱吉に跡継ぎができないことを心配した桂昌院が、
僧 隆光の「殺生を禁じて生き物を大切にすれば子を授かる」との言葉を信じ、
徳川綱吉に、動物や人までが試し切りされていた殺伐とした世相を憂いて訴えたといわれる
<玉の輿>
桂昌院(けいしょういん)の本名「お玉」にちなんが語源とされる