木戸孝允(きどたかよし)・桂小五郎(かつらこごろう) 京都通メンバ

幕末維新明治維新長州藩藩士・政治家

旧称:桂小五郎(かつらこごろう)

生年:1833年(皇紀2493)天保4年6月26日
没年:1877年(皇紀2537)明治10年5月26日
享年:45

出身:長州藩
お墓:京都霊山護国神社

贈従一位

維新三傑の一人

通称:小五郎・貫治・準一郎

 木戸孝允(きどたかよし)は、幕末維新明治維新に活躍した長州藩藩士・政治家

 幕末維新では、坂本龍馬の斡旋で、長州藩の外交担当者・指導者・藩庁政務座の最高責任者として活躍し、
尊王攘夷派の中心人物で、薩摩藩西郷隆盛らと薩長同盟を協議し討幕の中心として活躍する
 徹底的に闘争を避け「逃げの小五郎」と称された

 明治維新では、明治新政府の参議として、版籍奉還・廃藩置県を推進し、海外視察も行い、
憲法制定や三権分立国家を勧めた

 長州藩藩主 毛利敬親や、明治天皇から厚く信頼された
 西郷隆盛・大久保利通とともに「維新三傑」の一人とされる

 妻は、命の恩人で同志でもある京都 三本木の芸妓 幾松(木戸松子)

【桂小五郎の歴史・経緯】



【名前】

 15歳以前、生家の「和田」

 1848年(皇紀2508)嘉永元年
 15歳で元服し、和田小五郎から養子先の大組士 桂小五郎となる

 1866年(皇紀2526)慶応2年
 長州藩藩主 毛利敬親から「木戸」姓を賜り使い始める

 「孝允(たかよし)」は、桂家当主としての名前、諱(いみな)でもあった

 幕末には命を狙われていたため、「新堀松輔」「広戸孝助」など多くの名前を名乗った


【桂小五郎のゆかりの地】

 <お墓>
 多くの勤皇志士たちと同じ、京都霊山護国神社にある

 <桂小五郎像
 京都市役所の東、長州藩邸跡である現在の京都ホテルオークラの北西の一角に立てられている

 <木戸孝允旧跡
 明治維新後に別邸で、明治天皇の見舞いを受け、死去したところ

 <桂小五郎幾松寓居跡
 妻 松子となった芸妓 幾松と暮らした屋敷跡

 <島原の揚屋 角屋(重要文化財)>
 西郷隆盛坂本龍馬などの勤王志士たちと、軍用金調達のため、豪商を招いて会談を行っていた

 <木戸神社>
 長州正義派政権時代の山口の居宅跡に立てられる

 <木戸坂>
 東京都文京区の別邸からJR山手線駒込駅までの坂

【その他】

 <時代行列
 時代祭の維新志士列に登場する


【京都検定 第10回3級】

【京都検定 第19回3級】

【京都検定 第1回2級】

【京都検定 第8回1級】


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