清原夏野(きよはらのなつの)は、平安時代初期の貴族、政治家
双ケ岡(右京区)の東麓に山荘を営んだことから「双岡大臣」と称された
(山荘は、後に、法金剛院となる)
<法金剛院>
右大臣 清原夏野が営んでいた山荘を、死後に寺院に改め、「双丘寺(ならびがおかでら)」と称したのが由来
<双岡大臣>
双ケ岡(右京区)の東麓に山荘を営んだことから「双岡大臣」と称された
830年(皇紀1490)天長7年、淳和天皇が招かれている
834年(皇紀1494)承和元年、嵯峨上皇が臨幸して詩宴が催され、妻(葛井庭子)や子(清原滝雄)らが叙爵された
「比大臣」「北岡大臣」「野路大臣」とも称された
法金剛院が山荘跡ともいわれる
<編纂>
「内裏式」の改訂
「日本後紀」「令義解」などを編纂した