清原夏野(きよはらのなつの)(Natsuno Kiyohara)

平安時代初期の貴族、政治家

生年:782年(皇紀1442)延暦元年
没年:837年(皇紀1497)承和4年10月7日
享年:56

名前:繁野王(皇族時代)、清原夏野(臣籍)

父親:小倉王
五男
母親:小野家主(小野縄手の娘)
女子:清原春子(淳和天皇の後宮)

官位:従二位右大臣、正二位(死後追贈)

別称:双岡大臣(ならびがおかだいじん)、比大臣(ならびだいじん)、北岡大臣、野路大臣

 清原夏野(きよはらのなつの)は、平安時代初期の貴族、政治家

 双ケ岡(右京区)の東麓に山荘を営んだことから「双岡大臣」と称された
 (山荘は、後に、法金剛院となる)

【清原夏野の歴史・経緯】

【清原夏野ゆかりの地】

 <法金剛院
 右大臣 清原夏野が営んでいた山荘を、死後に寺院に改め、「双丘寺(ならびがおかでら)」と称したのが由来

【その他】

 <双岡大臣>
 双ケ岡(右京区)の東麓に山荘を営んだことから「双岡大臣」と称された
 830年(皇紀1490)天長7年、淳和天皇が招かれている
 834年(皇紀1494)承和元年、嵯峨上皇が臨幸して詩宴が催され、妻(葛井庭子)や子(清原滝雄)らが叙爵された
 「比大臣」「北岡大臣」「野路大臣」とも称された
 法金剛院が山荘跡ともいわれる

 <編纂>
 「内裏式」の改訂
 「日本後紀」「令義解」などを編纂した


【京都検定 第4回2級】

【京都検定 第15回1級】

[インデックス]


京都通メンバページ


[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク