小松帯刀(こまつたてわき)は、江戸時代後期の薩摩藩藩士 家老、明治時代初期の政治家
島津久光の側役で、薩摩藩の藩政改革に尽力した
亀山社中(のちの海援隊)の設立も支援した
京都の住居は、近衛家別邸 御花畑屋敷跡で、その屋敷で長州藩と薩摩藩が薩長同盟が締結された薩長同盟所縁之地
<小松帯刀寓居跡>
室町通鞍馬口通にある屋敷跡
近衛家別邸 御花畑屋敷跡を住まいとしていた
本屋敷において、長州藩と薩摩藩が薩長同盟が締結された薩長同盟所縁之地
室町通鞍馬口通の路肩に石碑が立てられている
<薩長同盟所縁之地>
小松帯刀寓居跡
本屋敷において、長州藩と薩摩藩が薩長同盟が締結された
<小松帯刀寓居参考地>
以前は、小松帯刀邸は、上京区一条堀川通東入南側松之下町付近とされおり、
「小松帯刀寓居参考地」の石碑も立てられていた
2016年(皇紀2676)平成28年5月
京都や鹿児島で、相次いで「御花畑絵図」などの史料が見つかり、現在の地であることが判明する
「小松帯刀寓居参考地」の石碑は撤去される
<有待庵(大久保利通旧邸跡)>
小松帯刀が薩長同盟を結んだ密談のときに用いられたといわれる