前田玄以(まえだげんい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての僧侶・武将・大名
延暦寺の僧侶であったが還俗して織田信忠、織田信雄に仕える
京都奉行となり、豊臣秀吉に重用され亀山城城主となる
豊臣政権の五奉行の一人として活躍
関ヶ原の戦いでは石田三成の西軍についたが、戦後は、徳川家康から所領を安堵され、初代 亀山藩藩主となる
典例や故実に詳しく、千利休に茶を学んだ
<秀吉事記>
豊臣秀吉の信任も厚く、「秀吉事記」では「智深くして私曲なし」と評された
豊臣政権の五奉行の一人となる
<京都所司代>
豊臣政権下の京都所司代に任じられた
京都の公家・諸寺社との繋がりを持つ数少ない人物だったといわれる
<キリシタン>
かつて僧侶だったことから、当初はキリシタンを弾圧していた
後年には理解を示し、秘密裏に京都でキリシタンを保護している
ポルトガルのインド総督ともキリシタンとの関係で交渉したことがあったといわれる
息子2人はキリシタンになっている
<大雲院>
祇園閣の背後に前田玄以の墓地がある
絹本著色 前田玄以像(重要文化財)が所蔵されている