松平容保(まつだいらかたもり)は、幕末維新の大名で陸奥国会津藩 第9代藩主
幕末維新には、京都市中警護のために設けられた幕府の役職である京都守護職の初代に就く
会津松平家の家訓を守り、佐幕派の中心的存在となり、新選組とともに尊王攘夷運動を弾圧した
神道にのっとり忠誠霊神と号される
<金戒光明寺>
幕末維新には、京都市中警護のために、京都守護職 松平容保が率いる会津藩の本陣となる
<京都守護職上屋敷跡>
現在の京都府庁・第二日赤病院・梅屋校におよぶ広大な屋敷だった
京都府庁内には石碑と、中庭には「容保桜」と命名された山桜がある
<会津家訓十五箇条>
会津藩藩祖 保科正之が記した
第一条「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在である」
松平容保は、最後までこの遺訓を守り、佐幕派の中心的存在として戦い幕府と運命を共にした