写真切替用P
源義朝(みなもとよしとも)は、平安時代末期の武将
河内源氏六代目棟梁
源頼朝・源範頼・源義経らの父親
平治の乱で、二条天皇方の平清盛が官軍の地位を獲得し、藤原信頼・源義朝は、討伐の対象となり、
東国で勢力挽回を図ろうと東海道を下っている途中、尾張国の源氏相伝の家人 長田忠致に裏切られ襲撃を受けて殺害された
<高松神明神社>
保元の乱において、後白河天皇の本拠地となり、
源義朝や平清盛らの軍勢がここに参集して、崇徳上皇の白河北殿へ攻め込んだ
<若宮八幡宮>
清和天皇を祖とする河内源氏の嫡流 源義家が生まれた、父親 源頼義が造営していた源氏六条堀川館の屋敷跡
源氏六条堀川館には、源頼義・源義家・源為義・源義朝・源義経の邸宅で「源氏累代の館」とも称される
八幡太郎義家誕生地の石碑が立ている
近くには、源義朝の側室 常盤御前も用いたと言われる常盤井もある
<寿延寺 物見の松>
源義経(牛若丸)が、父親 源義朝の13回忌供養のために、平家の侍の千人斬りを祈願し、
十禅師の森に潜み、松の大木に登って周囲を探っていたといわれる