写真切替用P
源義朝(みなもとよしとも)(Yoshitomo Minamoto) 京都通メンバ
平安時代末期の武将

生年:1123年(皇紀1783)保安4年
没年:1160年(皇紀1820)平治2年1月3日
享年:38

父親:源為義
長男
母親:藤原忠清の娘

別名:上総御曹司(かずさおんぞうし)、左典厩、頭殿、大僕卿

河内源氏六代目棟梁
官位:従四位下、左馬頭(さまのかみ)、下野守、播磨守
贈正二位内大臣

兄弟:義朝、義賢、義憲、頼賢、頼仲、為宗、為成、為朝、為仲、行家、鳥居禅尼、他
正室:由良御前(藤原季範の娘)
側室:常盤御前、三浦義明の娘、波多野遠義の娘、遠江国池田宿遊女、青墓長者大炊
子息:義平、朝長、源頼朝、義門、希義、範頼、阿野全成、義円、源義経、坊門姫

墓所:愛知県知多郡美浜町

 源義朝(みなもとよしとも)は、平安時代末期の武将

 河内源氏六代目棟梁
 源頼朝・源範頼・源義経らの父親

 平治の乱で、二条天皇方の平清盛が官軍の地位を獲得し、藤原信頼・源義朝は、討伐の対象となり、
 東国で勢力挽回を図ろうと東海道を下っている途中、尾張国の源氏相伝の家人 長田忠致に裏切られ襲撃を受けて殺害された

【源義朝の歴史・経緯】



【源義朝ゆかりの地】

 <高松神明神社
 保元の乱において、後白河天皇の本拠地となり、
源義朝や平清盛らの軍勢がここに参集して、崇徳上皇の白河北殿へ攻め込んだ


 <若宮八幡宮
 清和天皇を祖とする河内源氏の嫡流 源義家が生まれた、父親 源頼義が造営していた源氏六条堀川館の屋敷跡
 源氏六条堀川館には、源頼義・源義家・源為義・源義朝・源義経の邸宅で「源氏累代の館」とも称される

 八幡太郎義家誕生地の石碑が立ている
 近くには、源義朝の側室 常盤御前も用いたと言われる常盤井もある


 <寿延寺 物見の松>
 源義経牛若丸)が、父親 源義朝の13回忌供養のために、平家の侍の千人斬りを祈願し、
十禅師の森に潜み、松の大木に登って周囲を探っていたといわれる



【京都検定 第15回3級】

【京都検定 第9回2級】

【京都検定 第19回2級】

【京都検定 第8回1級】

[インデックス]


京都通メンバページ


フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク