源融(みなもとのとおる)(Minamotono Tooru)

生年:822年(皇紀1482)弘仁13年
没年:895年(皇紀1555)寛平7年8月25日

嵯峨天皇の第12皇子
母親:大原全子

地位:大納言など、従一位左大臣、死後に正一位が追贈

別名:河原左大臣

嵯峨源氏融流初代

 源融(みなもとのとおる)は、平安時代初期の廷臣

 嵯峨天皇の第12皇子で、「源氏物語」の主人公の光源氏の実在モデルとされる

 六条坊門小路南、万里小路東に、
 陸奥国塩釜の風景を模して作庭した六条河原院(現在の渉成園)を造営し、「河原院」「東六条院」と称された


 世阿弥作の能「融」の元となった

 嵯峨の山荘 栖霞観(せいかかん)が、現在の嵯峨釈迦堂 清凉寺となる

【源融のゆかりの地】

 <河原院
 平安時代初期
 源融が、六条坊門小路南、万里小路東に創始した邸宅

 庭の池には鴨川の水を引き入れ、歌枕で有名な陸奥国の塩竃(しおがま)の浦を模した

 毎月、難波の海から30石の海水をその池に運ばせては、塩を焼く煙の風情を楽しんだといわれる

 河原院/A>は、源融から、子・源昇、さらに宇多法皇に寄進され仙洞となる
 宇多法皇の死後、寺院に改められた

 1000年(皇紀1660)長保2年
 源融の子の僧 仁康聖人(にんこうしょうにん)が、祗陀林寺(ぎだりんじ)を開創したときに、河原院の本尊が移されたといわれる

 その後、河原院は度々火災に遭い荒廃する


 <上徳寺
 六条河原院があったところに建つ

 <清凉寺
 嵯峨野の山荘 棲霞観の跡
 境内に、源融の墓といわれる石塔がある

 <平等院
 源融の宇治の山荘跡
 後に藤原道長に渡り「宇治殿」となり、その子 藤原頼通が寺院に改めて、平等院の由来となる

 <本覚寺
 源融の邸宅 河原院御殿塩竈第跡

 <錦天満宮
 源融を祀る塩竃社がある

【その他】

 <箏曲 「融」>
 手事もの地歌曲
 石川勾当の作曲

 <能「融」>
 河原院の塩竃を素材とした能の演目
 世阿弥の作

 <「古今和歌集」・「百人一首」>
 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに

 <嵯峨源氏融流>
 源融は、嵯峨源氏融流初代


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