源融(みなもとのとおる)は、平安時代初期の廷臣
嵯峨天皇の第12皇子で、「源氏物語」の主人公の光源氏の実在モデルとされる
六条坊門小路南、万里小路東に、
陸奥国塩釜の風景を模して作庭した六条河原院(現在の渉成園)を造営し、「河原院」「東六条院」と称された
世阿弥作の能「融」の元となった
嵯峨の山荘 栖霞観(せいかかん)が、現在の嵯峨釈迦堂 清凉寺となる
<河原院>
平安時代初期
源融が、六条坊門小路南、万里小路東に創始した邸宅
庭の池には鴨川の水を引き入れ、歌枕で有名な陸奥国の塩竃(しおがま)の浦を模した
毎月、難波の海から30石の海水をその池に運ばせては、塩を焼く煙の風情を楽しんだといわれる
河原院/A>は、源融から、子・源昇、さらに宇多法皇に寄進され仙洞となる
宇多法皇の死後、寺院に改められた
1000年(皇紀1660)長保2年
源融の子の僧 仁康聖人(にんこうしょうにん)が、祗陀林寺(ぎだりんじ)を開創したときに、河原院の本尊が移されたといわれる
その後、河原院は度々火災に遭い荒廃する
<上徳寺>
六条河原院があったところに建つ
<清凉寺>
嵯峨野の山荘 棲霞観の跡
境内に、源融の墓といわれる石塔がある
<平等院>
源融の宇治の山荘跡
後に藤原道長に渡り「宇治殿」となり、その子 藤原頼通が寺院に改めて、平等院の由来となる
<本覚寺>
源融の邸宅 河原院御殿塩竈第跡
<錦天満宮>
源融を祀る塩竃社がある
<箏曲 「融」>
手事もの地歌曲
石川勾当の作曲
<能「融」>
河原院の塩竃を素材とした能の演目
世阿弥の作
<「古今和歌集」・「百人一首」>
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに
<嵯峨源氏融流>
源融は、嵯峨源氏融流初代